マリオ・ガレアーノ・トロ (Mario Galeano Toro)
FRENTE CUMBIERO
《BOGOTA=TOKIO Conexión Vol. 1》
『FUJI ROCK 2018』を皮切りに初のジャパン・ツアーを行ったフレンテ・クンビエーロ。首謀者マリオ・ガレアーノ・トロが語る、シーンの全体像とクンビアの成り立ちに関する刺激的な考察、そして新たな展開へのヒントに満ちたインタビュー。これぞクンビア・ランド探求の最前線。
Interview by Huracan Tokio DJs
–- まずは自己紹介をお願いします。大学で音楽を教えてるんですか?
■ マリオ・ガレアーノ : マリオ・ガレアーノ・トロ。ミュージシャン、作曲家、そしてプロデューサーです。 活動の拠点はコロンビアのボゴタ。僕の仕事は主にコロンビア音楽、ラテンアメリカ音楽と呼ばれるもので、これらの音楽が現在の世界で果たす役割を追求してる。いま率いているバンドはみっつ。フレンテ・クンビエーロ、オンダトロピカ、そしてロス・ピラーニャス。どのバンドもヴァイナルをリリースしてて、35カ国以上の国々でプレイしてきたよ。作曲家、プロデューサーとしては、これまでとてもオープンマインドなミュージシャンと共演する機会に恵まれた。ガラ・ガレアーノ名義でヴァイナル・オンリーのDJもよくやってる。もう10年以上、ボゴタのいくつかの大学で非常勤の講師として音楽を教えてるよ。
–- 最初に影響を受けたのはどんな音楽でしたか? ボゴタの子供たちが普段どんな音楽を聴いているのか、日本人にはなかなか想像できないです。クンビア、チャンペータ、バジェナート…こういった音楽は身近なものなんでしょうか?
■ マリオ・ガレアーノ : 子どもの頃影響を受けた音楽といえば、やっぱり家でかかってたものだよね。母親がとにかく音楽好きで、一日中音楽を聴いてるような人で。お気に入りのカセットを編集してつくったり、よく自宅でパーティーをやってたんだけど、母はいつもBGMを担当してたよ。主に50年代から90年代のラテン・アメリカ音楽だね。ボレロ、タンゴ、クンビア、ポロ、ソン….などなど。
テーィンエイジャーになると、誰もが影響を受けるのは西洋の音楽だよ。ロック、パンク、ジャズ、ダンス・ミュージック、エレクトロ・ミュージック…グローバリゼーションってやつだね(笑)。
ヴァジェナート、メレンゲ、サルサ、この手の音楽は、家族や友人が集まるパーティーだったり、街中のいろんな店、交通機関とか至るところで流れてるよ。
–- いつごろ楽器を手にするようになったんですか?
■ マリオ・ガレアーノ : 13歳のときだね。最初はギターで、90年代にコロンビアのメディジンで始まったパンク・ムーヴメントのスタイルをコピーしてたんだ。
–- レコードに興味を持ち始めたのは?
僕がティーンエイジャーの頃はもう世の中CDの時代になっていたから、当時はCDを集めてた。20歳くらいの頃かな、レコード、ヴァイナルに興味を持ち始めたのは。当時はレコードに興味を持ってるやつなんて周りにいなかったけど。
–- 最初のバンド、アンサンブル・ポリフォニコ・バジェナートはブッ飛んでますね。どういうコンセプトで始めたんでしょうか? フレンテ・クンビエーロやオンダトロピカでも一緒にプレイしているペドロ・オへダ(ドラム/パーカッション)やメリディアン・ブラザーズのエブリス・アルヴァレス(ギター/エレクトロニクス)も一緒だったんですよね?
■ マリオ・ガレアーノ : アンサンブル・ポリフォニコ・バジェナートは、90年代に流行っていた、安っぽい、ロマンチックなヴァジェナートを新しい解釈でやってみようとしたんだ。調性、コードに縛られず、思いっきりノイジーにプレイする。歌詞はデタラメ。それと同時に、例えばホアンチョ・ポロ・ヴァレンシアみたいな伝統的なヴァジェナート奏者が、実際どれほどパンキッシュかってことを伝えたかった。エブリス・アルヴァレスはヴォーカルもやってるよ。ペドロはキューバに留学中だったから参加してないね。
–- その後、オランダに留学したんですよね?
■ マリオ・ガレアーノ : そう。ボゴタの、ガチガチにヨーロピアン・スタイルの音楽学校で勉強してたんだけど、もううんざりしてたんだ。僕が興味を持ってたのはポピュラー・ミュージック、フォルクローレや民族音楽で…ヨーロッパのクラシック音楽じゃなかったからね。ここコロンビアでは、僕たちはほんの子供の頃から「コロンビアは”メスティーソ”の国です」って教えられて育つ。ヨーロッパとアメリカ大陸の先住民族の文化、そしてアフリカからの影響が混じり合った、人種混合の国です、とね。でもそれはあくまでタテマエ。実際に幅を利かせているのは、もちろん開拓者であるヨーロッパの視点、ものの見方だ。だからアフリカやアラブ、共にスペインを経由してコロンビアに大きな影響を与えた地域の音楽について、もっと知りたいとずっと思ってたんだ。で、オランダにワールド・ミュージックをテーマにした作曲科のコースがあるのを見つけて留学したんだ。運良くコロンビア政府から奨学金をもらうことができたから。
–- 以前あなたのインタビューで、コロンビアではクンビアは時代遅れで、ノスタルジックな音楽ですらあると言ってるのを読んで衝撃を受けました。
■ マリオ・ガレアーノ : クンビアは、コロンビアの一般の人たちからは古い時代の音楽と見なされてる。悲しいかな、ラジオでかかったりすることはまずないね。クンビアが占めていた場所は80年代にバジェナートに完全にとって替わられたんだ。コロンビアの一般的な人にとって、クンビアは例えば親戚一同が集まって新年とかクリスマスとかを祝うような場でかかる音楽だよ。
–- ではどうしてクンビアに関心を持つようになったんでしょう?
■ マリオ・ガレアーノ : 1998年頃かな。自分たちの音楽のルーツをもっと知りたいと思いはじめて、その手のライヴがあれば行くようになった。やがてレコードを集めるようになって、そのうち各地のフェスティヴァルにも足を運ぶようになった。でも”ラテンアメリカ音楽としてのクンビア”というコンセプトで注目するようになったのは、コロンビアを離れて留学していたときだね。クンビアがメキシコやアルゼンチンですごく人気があるなんて、コロンビアでは誰も知らないんだ。僕もオランダ滞在中に、クンビア・ソニデロのこと、そしてクンビア・ビジェラのことを知って興味を持ったんだ。
それで2005年に留学を終えて帰国するとすぐにまた奨学金を得るために論文を書いて、ソニデロ・カルチャーを研究するためにメキシコに行った。Youtubeで検索してもクンビア・レバハダなんてヒットしなかった時代の話だから、実際に耳にするためにはメキシコのモンテレイまで行くしかなかったんだ。
–- そのメキシコのソニデロ・カルチャーについて少し教えていただけますか。
■ マリオ・ガレアーノ : ソニデロはメキシコで独自の発展を遂げたクンビアのカルチャーで、中心にあるのはレコードとサウンドシステム。コロンビアのピコやジャマイカのサウンドシステムと同じだね。巨大なサウンドシステムで、エフェクターを使いながらレコードをプレイして、トーク・オーヴァーするスタイル。いちばんの特徴は、回転数を落として、レコードをピッチを下げてプレイするんだ。
–- その後にブエノスアイレスを訪れたんですか? ZZKに代表されるようないわゆるデジタル・クンビアは日本でもすごく人気があります。
■ マリオ・ガレアーノ : 50年代から60年代にかけて、クンビアはラテンアメリカ中で演奏されるようになった。ただ「ニュー・スタイル」、あるいは独自のローカル・スタイルのクンビアということでいうなら、まずはペルーのクンビア・アマゾニカ、チチャと呼ばれるものが最初だね。次いでメキシコのソニデロ、そして最後にアルゼンチンのクンビア・ヴィジェラ。
ヴィジェラはいわゆるスラムのクンビアで、ゲットー・ミュージックだ。とてもストリートワイズで、歌詞は警察や銃やドラッグに関すること。でも2000年代に入るとファッショナブルなものになって、中流階級や『パレルモ』のようなクラブに来る裕福層にも聴かれるようになった。ZZKがパーティーをオーガナイズするようになったのは、エレクトロ・ミュージック、主にミニマル・テクノに影響だね。ブエノスアイレスにはとても巨大なクンビア・カルチャーのシーンがあるんだよ。平日でもほとんど毎日どこかしらでクンビアのコンサートやパーティーをやってる。
–- クンビアが、アフロ・キューバン・ミュージックに相対するものとしてラテンアメリカ中に広まっていったというあなたの意見にはほんとうに驚かされました。アフロ・キューバン・ミュージックような、アップビートのダンスに馴染めない人たちの受け皿としてクンビアが広まったということでしょうか? だから比較的ブラック・コミュニティの少ないメキシコやアルゼンチンのような国々により浸透していった、と。
■ マリオ・ガレアーノ : う〜ん、ちょっと違うかな。クンビアも、ルンバやワラチャみたいなアフロ・キューバン・ミュージックと同じ「ダンス・ミュージック」としてタグ付けされて広まったわけだから。ただね、クンビアに関して忘れてならないことがある。それは、クンビアに於いてはネイティヴ・アメリカンの音楽がものすごく重要な構成要素であるということ。これはクンビアのもっともミステリアスで、わかりにくい側面だ。アフロ・カルチャーというのは、例えば踊るとかドラムを叩くとか、外から見てわかりやすい。ネイティヴ・アメリカンのカルチャーは正反対だからね。そうだね、こう言えばいいかな。クンビアのこのネイティヴ・アメリカンの要素こそ、メキシコからアルゼンチンまで、アメリカ大陸のさまざまな人々と結びつく「なにか」なんだって。伝統的なクンビアのダンスの、あのすり足で、歩幅が小さいステップ。あれはネイティヴ・アメリカンの文化が起源である可能性が高いと思う。
–- うわぁ…鳥肌が立ちました。それはまた…シビレる話ですねぇ。なるほど。あなたはクンビアに、ロマ、ジプシー音楽の血が流れているとも言っていますね。19世紀末、コロンビアのカリブ海湾岸地方の大地主たちは、力を誇示するために農民たちにブラス・バンドを組ませて優劣を競い合っていた。当時迎え入れたスペイン人の音楽教師を通じてロマ、ジプシー音楽もコロンビアに入ってきた、と。この話を聞いたときも鳥肌が立ちました。
■ マリオ・ガレアーノ : そうなんだ! ブラス・バンドの楽器がコロンビアに持ち込まれた当時、コルドバの牧牛地帯にはスペイン人のミュージシャンも連れられてきたんだ。知ってると思うけど、スペインの文化に於いてジプシーの存在はとても大きい。パソドブレのようなスタイルではジプシー音楽の影響は明らかだ。牧牛地帯ではすごく盛んなんだ。ポロやファンダンゴにもちょっとオリエンタルな味わいがある。だからバルカン・ブラスとブラス・バンド・クンビアには共通点が多いんだよ。同じ感覚で聴ける。でもね、このオリエンタルな感じは、ネイティヴ・アメリカンのメロディーのせいでもある。あらゆるクンビアの、ほとんどのパートはネイティヴ・アメリカンのメロディーなんだよ。
–- アジアからの影響はどうでしょうか? クンビアには日本語が出てきたり、日本のことが歌われてる曲もけっこうありますよね。
■ マリオ・ガレアーノ : それもネイティヴ・アメリカンの音楽の現れだと言えるね。アメリカ先住民の祖先はアジア、特にモンゴルや中国北部からやってきたんだから。
–- なるほど。ここで改めてクンビアを定義すると…
■ マリオ・ガレアーノ : ラテンアメリカでもっとも広く楽しまれているスタイルのひとつと言えるね。もともとはコロンビアの音楽だけど、いまやアメリカ大陸中に大人気のスポットを見いだせるほどに広まった。南はアルゼンチン、北は合衆国まで。基本的に、ラテンアメリカ大陸のそれぞれの国には独自のスタイルのクンビアがある。そしてこの10年ほどで、クンビアはアメリカ大陸以外にも大きな衝撃を与え、世界中の大きな都市で熱狂的なリスナーを持つに至ってる。
クンビアの最大の特徴は、ネイティヴ・アメリカンのメロディー、アフリカのリズム、そしてヨーロッパから伝わった詩の形式、これらの要素の絶妙なバランスにある。エネルギッシュであると同時にミステリアス。切なくて、でも喜びに満ちている。ブラス楽器、エレクトリック・ギター、リズムボックス、ネイティヴ・アメリカン・フルート、シンセ、打ち込み、アフリカン・ドラム…ラテンアメリカ中でいろんなスタイルでプレイされてるから、一言でクンビアといってもとてもそのサウンドは多種多様だ。でもそれゆえに、クンビアは様々な異なるバックグラウンドの人にリーチするんだ。グルーヴィーで、ノリやすくて、ダンスフロアにぴったり。クンビアを楽しむのに、「ラテン音楽ファン」である必要すらない。
–- ではあらためて、あなたがミュージシャン、作曲家、プロデューサーとして、アフロ・キューバンや他のラテンアメリカ音楽ではなく、クンビアを選んだ理由というのは…
■ マリオ・ガレアーノ : もちろんクンビア以外のトロピカル・ミュージックも大好きだよ。いろいろ演奏も楽しんでるし。サルサもブーガルーも…。でも自分自身でプロジェクトを始めようと思ったとき、なにかもっとローカルなものをやってみたいと思ったんだ。クンビアをとりあげるってこと自体が、そう、当時は社会的な「声明」だった。2005年にフレンテ・クンビエーロを始めたときは、いまじゃ世界中で盛り上がってるクンビアも、どこを見渡しても影もかたちもなかったんだよ! あの当時、クンビアは低俗な、まったくとるに足りない音楽と見なされていた。そういう見方を覆したのは、僕たち、そしていくつものラテンアメリカのバンドなんだよ。
僕たちがやっているようないわゆるニュー・クンビアのムーヴメントは、コロンビアでもすごくアンダーグラウンドで、ニッチなシーンだ。コマーシャルなラジオでかかることはない。かかるとしたら国営放送かカレッジ・ラジオくらい。インターネットが、僕たちが世界とコミュニケートする手段だ。コロンビアのこのシーンは小さいけれど、とてもうまくいってるコミュニティだよ。バンドはいつもどこかでプレイしているし、ショウはどこも満員、レコードもちゃんと売れてるし。独立独歩のアンダーグランドなシーンってところだね。
–- なるほど。ところでCDで聴けるのが『FRENTE CUMBIERO Meets MAD PROFESSOR』ということもあって、このアルバムのサウンドこそフレンテ・クンビエーロであると思っている人も多いのですが、出世作であるデビューEP「Pitchito」は打ち込み&サンプリングでひとりでやってますよね。『FRENTE CUMBIERO Meets MAD PROFESSOR』は多くのミュージシャンや学生たちもワークショップ的に加わった大所帯で完全生音の録音。そして「Unconvention」や今回の「Sondirama」はカルテットでの録音。実に様々なフォーマットで録音してますね。フレンテ・クンビエーロをどう定義すべきでしょうか?
■ マリオ・ガレアーノ : そうなんだ。フレンテ・クンビエーロには様々な音楽的フォーメーションがある。メキシコのプエブラで録音したときは30名からなるオルケスタだったし、「Pitchito」のようなエレクトロニックなソロ・ワークもある。でもライヴは基本的にカルテット編成だよ。フレンテ・クンビエーロとは、さっきも言ったように、なによりも、今日の世界に向けてクンビアのカルチャーをレペゼンしようとする社会的、音楽的な構想なんだ。
–- オンダトロピカについてついて少し聞かせてください。ここ日本ではもっぱらクァンティックのプロジェクトとして紹介されているオンダトロピカですが、もともとはフレンテ・クンビエーロのセカンド・アルバムとしてあなたが暖めていたアイディアが発端であると聞きました。オンダトロピカがあなたに音楽的にもたらしたものはありますか?
■ マリオ・ガレアーノ : オンダトロピカはクァンティックと僕、ふたりの共同プロジェクトだ。ふたりとも音楽監督の立場にある。もちろんクァンティックが果たす役割はとてつもなく大きいし、コロンビア以外の国の人たちにしてみれば、僕よりイギリス人である彼のバンドと言った方がわかりやすいだろうね。ウィルは素晴らしい友人、いや、ブラザーだよ。録音やプロダクションに関して、僕たちにとても多くのことを教えてくれた。音楽的には、オンダトロピカは大いなる喜びというより他にない。コロンビア音楽のヒーローたちと顔を付き合わせてレコーディングすることができたんだから。ミチ・サルミエントやアニバル・ベラスケス、数えきれないほどの巨匠たちとね。ほんとうに多くのことを学んだ素晴らしい経験だった。
–- Soundcloudにアップされている「ChaChaCha – Taraab con Guacharaca」についても聞かせてください。とても楽しそうですね。でもよく考えたら、ひとりのコロンビア人が東アフリカを訪れ、地元のターラブ・バンドと一緒にチャチャチャを演奏している…まったく奇想天外な音源です。どうしてこんなことが可能になったんですか?
■ マリオ・ガレアーノ : ナイロビにあるコロンビア大使館のおかげだよ。彼らが招聘してくれたおかげで2015年にケニアとタンザニアを訪れることができたんだ。これはもう地元ミュージシャンと共演するしかないと思ってね。実際ナイロビのケテブル・ミュージック・スタジオでゾクゾクするようなセッションができた。いつかリリースしたいと思ってるんだ。ザンジバルでもトラディショナルなターラブの演奏家たちとレコーディングするチャンスがあって、それがこの、シンプルだけど、とても美しいコラボレーションになったってわけ。
–- えっ? ナイロビ録音があるんですか…それは聴きたい。ぜひリリースをお願いします。ではオクラ印からリリースした新曲について伺います。A面の「Sondiramá」はまったく予想していなかったサウンドでした。ポロというスタイルについて教えてください。
■ マリオ・ガレアーノ : ポロはクンビアの一種、クンビアという大きなファミリーの中のひとつだね。そもそもは19世紀末コロンビアにヨーロッパからブラス系の楽器が持ち込まれたときに始まったスタイルだ。ポロの特徴はなんといってもブラス・バンド・スタイルということ。そしてある特定のリズム・パターンがあるんだけど、「Sondiramá」ではティンバレスとドラム・マシーンのパターンにその特徴が出てるよ。
–- カップリングの「Crema Mental」のモチーフは、すでに『BOILER ROOM SESSION』でも出てきてました。ペルーのアンデス地域のブラス・バンド・クンビアを思い起こさせます。
■ マリオ・ガレアーノ : これはよりヒプノティックなテイクだね。いろんな要素から成り立ってる曲なんだけど、そうだね、確かにマイナーからメジャーに移行するところやメロディーの展開なんかは中央アンデスのワイノを思わせるね。
–- 2曲ともムーグが強烈です。現在レコーディング中のアルバムについて教えてください。新たにボンバルディーノ(ユーフォニアム)奏者のセバスチャン・ロソが加わってさらにブラス・バンド感が増しそうですね。
■ マリオ・ガレアーノ : 新しいアルバムはカルテット・サウンドにフォーカスしてるんだ。ボンバルディーノ、テナー・サックス、クラリネット、ティンバレス、それにエレクトロニクス、サンプリング、シンセ、ドラム・マシーン。来年の上半期にはリリースしたいね。
–- 現在のフレンテ・クンビエーロのアートワークを担当しているカミロ・パチョンについても少し教えてもらえますか? 『FRENTE CUMBIERO Meets MAD PROFESSOR』でマテオ・リバーノが担っていた役割を彼が果たすのでしょうか?
■ マリオ・ガレアーノ : カミロ・パチョンは映像アーティスト、フォトグラファーで、彼があの「パドレモンテ」というアイディアを練り上げたんだ。樹木や森の擬人化は世界中の文化に共通して見られるよね。コロンビアでは「マドレモンテ」っていうんだ(森を人から守る母)。でも僕らは男だから「パドレモンテ」(笑)。カミロ・パチョンは何年もずっと「コスチューム」というコンセプトを探求してる。主にカーニバルのコスチュームに関連したものだけど、そこに新しい側面を見いだそうとしてるんだ。才能あるヴィジュアル・アーティストとコラボレートすることは僕らにとってすごく重要なことなんだ。フレンテ・クンビエーロが辿り着き、触れ合おうとする、新たなランドスケープをヴィジュアライズするためにね。ファッショナブルな見てくれなんて求めてやしないよ。もっと内面的で、そう簡単に理解できるようなものじゃないんだ。
–- 最後に日本のファンにメッセージを。
■ マリオ・ガレアーノ : 日本のオーディエンスの前で演奏することができてすごくハッピーだ。僕らが生まれ育ったボゴタの真の姿を伝える、よりアンダーグラウンドでヘヴィなショウをご覧に入れるよ。南米の音楽シーンは常にヨーロッパを介して日本に紹介されてるんじゃないかな。だから僕らが直接繋がることはすごく重要だ。ぜひ踊りに来てください。ハードコアなクンビアをお聴かせします。
<2018.07.29>
July 2018
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