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<インタビュー>
ペドロ・オヘダ
PEDRO OJEDA
Romperayo / Los PIranas / Chupame El Dedo

《BOGOTA=TOKIO Conexión Vol. 2》
 クンビア、アフロ・コロンビア、チャンペータ、サルサ、ブーガルー、アフロビート、レゲエ、パンク、ヒップホップ、アヴァン・ポップ、ジャズ、現代音楽…あらゆるものをのみ込んで新たなハイブリッド・ラテン・サウンドを吐き出しつづけるボゴタのアンダーグラウンド・シーン。このホットスポットにおいて、フレンテ・クンビエーロ、ロス・ピラーニャス、ロンペラージョ、シュパミ・エル・デド、オンダトロピカなどのドラマー〜パーカッショニストとして八面六臂の活躍を見せ、リズム面におけるキープレイヤーとして突出した存在感を放っているのがペドロ・オヘダだ。
 自身のメイン・プロジェクト=ロンペラージョで傑作『QUE JUE?』をリリースしたばかりのペドロ・オヘダに、ムンビア・イ・スス・カンデローソスのムーピーととも話を聞いた。

Interview by ムーピー (MUMBIA Y SUS CANDEROSOS/民謡クルセイダーズ) & 森本英人

— ボゴタ生まれですか? あなたのドキュメンタリーを観ていたらカミロ・トーレス(カトリック教司祭からコロンビア民族解放軍の戦士となった通称”ゲリラの神父”)の写真が出てきてびっくりしました。

■ ペドロ・オヘダ: 生まれも育ちもボゴタだよ。父親はカミロ・トーレスが参加した民族解放軍の創立者の一人だったんだ。

— いつ頃からパーカッションやドラムをプレイするようになったんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ: ドラムを始めたのは15歳のとき。最初はギターを弾いてたんだけど、でも幼なじみの連中とバンドを組もうとしたらもうギターがふたりもいてね。それで諦めてドラムを選んだんだ。

— ムーピー:ドラム、パーカッションを始めて最初にやったのはどんなバンドだったんですか?

■ ペドロ・オヘダ: 最初のバンドはロス・デセチャブレスっていう名前のバンドだった。ホームレスって意味で、学校の友人たちと組んだパンク・バンド。

— パンク・バンド? フレンテ・クンビエーロのマリオ・ガレアーノ・トロにインタビューしたとき、メデジンで始まったパンク・ムーヴメントの影響でギターを始めたと言ってたんですが、ひょっとしてあなたも?

■ ペドロ・オヘダ:うん、同じだよ。

— いきなり脱線するようで申しわけないんですが、そのメデジンのパンク・ムーヴメントについてちょっと教えてもらえますか? ボゴタの少年たちがこぞって楽器を始めるほど影響力があったってことですよね。どんなバンドがいたんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:コロンビア人の映画監督ビクトル・ガビリアが1988年に撮った『RODRIGO D: NO FUTURE』っていうヤバい映画があってね。 メデジンの貧しい地区で暮らす子供たちを描いた映画で、殺し、暴力、ドラッグ、他にももう目を覆いたくなるような悲惨なことがいっぱい出てくる。映画で流れる曲は全部メデジンのパンク・バンド。みんなで映画でかかった曲のカセットを手に入れて一日中聴いてたよ。ラス・ペスティレンシアとかペネとかムタンテクスとか。
ほら、これ。『RODORIGO D: NO FUTURE』のワンシーンだよ。

(映画『RODRIGO D: NO FUTURE』より)

— うわぁ。やはりあなたたちの根底にはパンクがあるんですね。マリオ・ガレアーノ・トロやメリディアン・ブラザーズのエブリス・アルバレスとはどういった経緯で出会ったんですか? アンサンブル・ポリフォニコ・バジェナート(コロンビアの伝統音楽バジェナートをパンク&ノーウェーヴ的な解釈で演奏していた伝説のバンド。マリオ・ガレアーノ・トロ、エブリス・アルバレスが在籍)のレコーディングにはあなたは参加していないんですよね?

■ ペドロ・オヘダ:マリオもエブリスも学校で知り合った幼なじみなんだ。さっき話したロス・デセチャブレスは、実はマリオとアンサンブル・ポリフォニコ・バジェナートのハビエル・モラレスやホアン・カルロス・バレンシアと組んたバンドだよ。ラ・プラザってバンドも一緒にやってたんだけど、その後僕がキューバに留学したとき、彼らはアンサンブル・ポリフォニコ・バジェナートを始めたんだ。学校が長期休暇に入ってコロンビアに戻ってきたときは僕もちょくちょく参加してたんだけどね。

(中央がエブリス・アルバレス。その向かって右がペドロ。右端はマリオ・ガレアーノ)

— キューバに留学してたのはラテン音楽のパーカッションを勉強するためですか?

■ ペドロ・オヘダ:そう。アフロ・キューバンとジャズを勉強しにね。すごく大きな経験だった。

— 当時お手本にしていたドラマーやパーカッショニストはいますか? あなたにとってヒーローだったプレイヤーというのは?

■ ペドロ・オヘダ:いっぱいいるなぁ。ドラムを始めたばかりのころはアルゼンチンの70年代のバンドのドラマーが好きだったんだ。ラ・マキーナ・デ・アセール・パハロスのオスカル・モロとかインビジブルのエクトル・”ポモ”・ロレンソとか。それからイエスやキング・クリムゾンのビル・ブラフォードのファンになった。次にトニー・ウイリアムスやジャック・デジョネットのようなジャズ・ドラマーを聴くようになって。ふたりともマイルス・ディヴィスと一緒にプレイしてたドラマーだよ。その後ラテンやキューバのドラマーに夢中になったんだ。フリオ・バレトやオラシオ・エルナンデスとか。日本人の、武石聡っていうドラマー もすごく好きだったよ。彼はずっとコロンビアに住んでたんだ。ニューヨークのジム・ブラックやビリー・マーティンも好きだし、レイ・バレットもマニー・オケンドも。それからコロンビアのドラマーに辿りついた。ギジェルモ・ナバスとかポンピリオ・ロドリゲスとかパウリノ・サルガド・”バタタ”とか。
そうだ、トニー・アレンの名前を挙げるのを忘れてた。影響を受けたってことなら僕にとってはすごく重要なドラマーだ。まったく新しいドラムのプレイの方法を示してくれた、アフロビートをね。

— アフロビートと言えば、コロンビアというのは昔からフェラ・クティのユニークなカヴァーが存在する国ですが、ロンペラージョ以前にあなたはシエロママとパランカというふたつのアフロビート・バンドを率いてましたね。

■ ペドロ・オヘダ:アフロビートにのめり込むようになったのはカナダのトロントに住んでいた頃。アンサンブル・ポリフォニコ・バジェナートのメンバーだったフアン・カルロス・バレンシアと、パレンケ・オーケストラっていうバンドを組んで、アフロビートにクンビア、それにヒップホップの要素を加えたようなことをやってた。2002年にトロントでフェミ・クティやアンチバラスを観る機会があったんだ。だからコロンビアに戻ってもアフロビートとクンビアとヒップホップをミックスしたバンドをやろうって考えてて、それがシエロママやパランカになった。

— 当時のコロンビアのオーディエンスの、こうしたアフロビート的な音に対する反応はどうだったんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:あの当時はボゴタにもコロンビアの他の都市にも、アフロビートっぽいサウンドにコロンビアの音楽の要素を加えた演奏をする良いバンドがけっこういたんだよ。ラ・モハラ・エレクトリカとかトゥンバカトレ、クルピラ、サイドステッパー、カブヤ、とかいろいろ。だからシエロママもパランカもそうしたシーンの一部だった。ラ・モハラ・エレクトリカとトゥンバカトレのメンバーにはキューバで一緒に音楽学校に通ってたやつらもいてね。2003年にコロンビアに戻ってきたときには彼らはもうバンドをスタートさせてて、僕も参加したりしてたんだ。その後はマラルマっていうバンドにも参加したな。その次がサイドステッパー。全部シエロママやパランカと同時進行でやってたよ。

— どうしてシエロママやパランカを続けなかったんですか? つまり、そこからロンペラージョへと至った経緯は…

■ ペドロ・オヘダ:パランカはジェイミー・オスピナとやってたバンドなんだけど、彼がアメリカに移住しちゃったしね。それに10人ものメンバーがいるバンドを維持するのにちょっと疲れちゃって。もっとインストにフォーカスした小編成のバンドをやろうと思った。それがロンペラージョだね。

— ヨーロッパのレーベルがコロンビア音楽の過去の音源をリイシューするようになったおかげで、ルチョ・ベルムデスやアンドレス・ランデーロ、あるいはフルーコ、ミチ・サルミエントなど一部のビッグネームは日本でも知られるようになってきました。ただ多くのクンビアやアフロ・コロンビアの名曲を生みだすのに関わった名手たち、特にパーカッショニストやドラマー、ベーシストとなるとほとんど情報がありません。コロンビアの大衆音楽で重要な役割を果たしたドラマーやパーカッション・プレイヤーについて、名前を挙げて少し教えていただけませんか?

■ ペドロ・オヘダ:コロンビア音楽のディスコグラフィーで大きな役割を果たしたドラマーやパーカッショニストは数えきれないよ。例えばポンピリオ・ロドリゲス。パチョ・ガランと一緒に演奏してた人で、ティンバレスとドラム・セットでメレクンベのリズムをつくった人だ。このリズム・パターンは本当に大きな影響を多くのミュージシャンに与えたんだ。とにかく沢山いるけど、あえて名前を挙げるとしたら、ギジェルモ・ナバス、ラファ・ベニテス、ウィルフリード・クアオ、ホセ・フランコってところかな。

— ムーピー:その「メレクンベ」ってリズム・パターンを私は知りませんでした。どんなリズムなんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:パチョ・ガランが始めたリズムだ。パチョ・ガランはコロンビアの音楽史の中でもとても重要な作曲家、アレンジャーだ。メレクンベはクンビアとドミニカ共和国のメレンゲを掛け合わせたリズムをベースにしてる。「Ay, Costa Linda」のドラムとティンバレスのパートを編み出したのがポンピリオ・ロドリゲズだよ。1952年にこの曲がリリースされると、メレクンベはコロンビアやラテン・アメリカの国々で大人気になって、多くの作曲家やバンドがこのリズムを取り入れた素晴らしい曲をいっぱいつくった。例えばペドロ・ラザ・イ・スス・ペライェロスとかエドムンド・アリアスとかね。

— さっき名前が挙がったギジェルモ・ナバスとあなたはNames You Can Trustからリリースされたロス・プロピオス・バテロスというプロジェクトで共演していますよね。僕はこの7インチが大好きなんですが、ギジェルモ・ナバスというティンバレス奏者について教えてもらえますか。どのような経緯でこの7インチを録音することになったんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:ギジェルモ・ナバスを知ったのはレコードを通じてだね。マルコス・ギルケスとかマチルダ・ディアスとか、いろんなバンドのレコードに参加してるドラマー、ティンバレス奏者だよ。ロス・ベテラノス・デ・カリーベっていう素晴らしいオルケスタでも演奏してる。コンタクトをとって、最初はレッスンを授けてもらってたんだ。そうこうするうちにだんだん彼やコロンビアの素晴らしいドラマーたちに関してなにか記録を残しておかなきゃって思うようになって。それで友人たち(スサーナ・オヘダとハブ・マルス)と『ロス・プロピオス・バテロス』っていうドキュメンタリーをつくることにした。僕らは、何人かのマエストロたちにライヴのようなかたちで競演してもらえればと考えてたんだけど、とてもボゴタに呼び寄せる予算はなくてね。たまたま彼らのうち何人かがボゴタに来た機会に、友人のスタジオに呼び集めて3曲録音することができたんだ。で、Names You Can Trustのエリックに相談して、そのうちの2曲を7インチでリリースすることにして、もう1曲はドキュメンタリーのエンディングに使った。

— なるほど〜。あの7インチであなたが音楽監督というクレジットになっているのはそういう経緯だったんですね。それにしてもこのような映像を残してくれたことにただただ感謝します。これこそ僕たちが知りたかったことです。映画の中であなたも指摘しているようにコロンビアのビッグ・バンド全盛期のレコードにはほとんどパーソネルのクレジットがなくて…。
登場するのは、マルコス・ギルケスの楽団やマチルダ・ディアスのバックで演奏していたギジェルモ・ナバス、パチョ・ガランやラモン・ロペインの楽団でプレイしていたプリーニョ・コルドバ、ロス・シンコ・デ・オロのヘルマン・チャバリアガ、ペレゴジョやウィリー・サルセドのバンドやオンダトロピカにも参加しているウィルソン・ビベロス、そしてルチョ・ベルムデスの楽団にいたフアンチョ・クアオ。まず、こうしたビッグ・バンド時代のマエストロたちのとても洗練された、エレガントなプレイに驚きました。
ギジェルモ・ナバスやフアンチョ・クアオがスネアのロールを交えた素晴らしいプレイを披露してますね。「アメリカのジャズ・ドラマーのソロをポロでやると…」とか言いながら。あの細かいスネアのプレイはやはりブラス・バンドのドラミングから来たものなんですか? そういえばフレンテ・クンビエーロの「Sondirama」にもスネア・ロールがフィーチャーされてました。

■ ペドロ・オヘダ: そうだね。コロンビアには大きくふたつのブラス・バンドのポロがある。ひとつは大西洋側の湾岸部に伝わる”ポロ・ペライェロ”もしくは”パリティアオ”。現地の人たちが”パパイェラス”って呼んでるもの。もうひとつが太平洋側の湾岸部に伝わる”ポロ・チョコアーノ”。その名の通りチョコ地方のポロ。現地の人たちが”チリミアス”って呼んでるもの。どちらのポロにもスネアによる演奏があって、その高速ロールは名人芸と言えるものだからね。

— プリーニョ・コルドバがフロア・タムを使って披露するドラミング、あれはビッグ・バンド・クンビアのイントロで聴ける典型的なフレーズですよね。「ラ・ポジェラ・コロラ」(日本で「赤いスカートのクンビア」として知られているクンビア・クラシック)のイントロとか。あれにはシビレました。ビートの”間”が…こうやってあらためてドラムだけで聴くとドープですねぇ。実際に彼らのようなマエストロの演奏を目の当たりにしてみて、新たな発見とかなにか思いもよらなかったことってありましたか?

■ ペドロ・オヘダ: 発見といえばフロア・タムのシェル(胴)の部分を使うことの大切さだね。ティンバレスのカスカラ(胴/シェルの部分を叩く奏法)と同じなんだけど、木を叩くような暖かみのある太い音が得られる。おそらくこれはタンボーラ・コロンビアーナ(大型の太鼓で両面に皮が張ってあり横倒しにしてスティックで演奏する)から来てるんじゃないかと思う。

— これは日本のクンビアやトロピカル・ミュージック・ファンの間でも有名な1954年のルチョ・ベルムデスの映像ですが、ひょっとしてここでドラムを叩いているのは、ギジェルモ・ナバスたちが手本にしたというウィルフレード・クアオでしょうか?

■ ペドロ・オヘダ: 僕が聞いたところだと、このビデオに出てくるのはウィルフレードの弟のセシル・クアオだって話だ。でもレコードのオリジナル・ヴァージョンはウィルフレードだ。

— ギジェルモ・ナバスはこう語っています。「国外からやってきたオルケスタの音楽監督たちはコロンビア人のドラマーを使いたがった。コロンビア人のドラマーは器用で、どんなリズムもお手のものだったから」と。どうなんでしょう、あなたから見て、当時のコロンビア人ドラマーの優れていたところはどんなところですか?

■ ペドロ・オヘダ: 必ずしもギジェルモ・ナバスの言うとおりだとは思わない。僕らコロンビア人はアメリカ合衆国、メキシコ、キューバ、そしてアルゼンチン、いろんな国の文化から大きな影響を受けてるからジャズもランチェーラもワラチャもタンゴも演奏できて当たり前だよ。
ただアメリカ合衆国とキューバ音楽からの多大な影響がコロンビアの伝統音楽と結びついたというのはとても特異な点だ。例えば、ジャズを演奏したあとでワラチャを演奏するとしよう。するとドラマーはジャズを演奏するのにハイハットとシンバル、スネアの扱い方を知っていなきゃいけない。それからティンバレスとカスカラ、カウベルの叩き方を知ってる必要がある。さらにポロやクンビア、ファンダンゴ、マパレーを演奏しなきゃならないとなると、これらの伝統的なリズムをドラム=ティンバレスのセットに置き換えなきゃならない。こうした状況に対応することが「器用さ」に繋がったんだとは思うけど。

— 彼らは当時ヒップだったアメリカ合衆国やヨーロッパのジャズをレコードで、そしてキューバ音楽をラジオで聴いて、ドラムのスキルを独学で身につけた。一方でコロンビアのオーディエンスを満足させるためにはクンビアやポロ、ガイタやマパレーといったコロンビアの伝統的なリズムのレパートリーを同じビッグ・バンドのセットで演奏しなくてはならなかった。その結果さまざまなリズムをモダンなドラムセットでプレイする「翻案力」が養われることになった、と。

■ ペドロ・オヘダ: そういうことだね。

— 『ロス・プロピオス・バテロス』は結果として、ルチョ・ベルムデス楽団のドラマーだったウィルフレード・クアオのプレイ・スタイルを源流としたドラマー・ファミリーのドキュメンタリーになっています。もちろん他にもエドムンド・アリアスのオルケスタ・ソノルクスとかソノラ・クロとか、それぞれのファミリーにそれぞれのストーリーがあって、それらが渾然一体となってコロンビア音楽の豊かさを育んできたわけなんですよねぇ。

■ ペドロ・オヘダ: まさにね!

— ビッグ・バンドの時代が終わると、こうしたマエストロたちはどうしたんですか?

■ ペドロ・オヘダ: ボゴタやメデジンでしばらく暮らしたあとで生まれ故郷に帰った人たちもいた。でもほとんどの人たちはそのまま大きな都市に残って音楽で生計を立てようとした。なんと言ってもプロだからね。ただ簡単なことではなかった。ビッグ・バンドは残らず消えてしまったんだから。いまでは一文無しに近い生活を送ってる人もいる。家があって家族はいるんだけど…。

— 『ロス・プロピオス・バテロス』を一般公開する予定はありますか? たとえばVimeoとかで。

■ ペドロ・オヘダ: うん。いくつかの映画祭で上映される予定なんだ。その後は一般公開するつもりだよ。

— このプロジェクトは今後も続けるつもりですか?

■ ペドロ・オヘダ: もちろん。プリーニョが病気でもうレコーディングできないのが残念だけど…。

— なるほど。ではそろそろロンペラージョの話を。
そもそもロンペラージョというのはバンドなんでしょうか? それともマリオにとってのフレンテ・クンビエーロのような、あなたのソロ・プロジェクトというか…。

■ ペドロ・オヘダ:ロンペラージョは僕のメイン・プロジェクトで、作曲とプロデュースはすべて自分でやってる。いつもまず自分の家でレコーディングして、録音した曲やアイディアをバンドに聴かせて、ライヴ・ヴァージョンを練る。エブリスのメレディアン・ブラザースやマリオのフレンテ・クンビエーロと同じだよ。ライヴは4人のミュージシャンでやってる。ベースのジョン・ソチャ、サンプルラーとシンセサイザーのホアン・トロ、ギターのギロ・クロス、そして僕。

— ムーピー:レコーディングはどんな場所を使って録ってるんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:『QUE JUE?』は全部ホーム・スタジオで録音したんだ。ロス・プロピオス・バテロスは『ローカス』っていうスタジオで録音したよ。ロス・ピラーニャスのときのようにマティク・マティクっていうバーでレコーディングすることもあるし。

— 『QUE JUE?』のサウンドは、ファースト・アルバムの延長線上にありつつ、より力強く、ヴィジョンがクリアになってる気がします。前のアルバムをレコーディングしたときからどういう変化があったんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:ファースト・アルバムのときはボゴタにあるプロが使うちゃんとしたスタジオに入って、カルテットですべて録音した。だから、よりライヴ的だね。全員で、せ〜の、で録音したんだ。『QUE JUE?』では違うやり方を試みた。まずはサンプリングや楽器を全部自宅で録音して、コンセプトを念頭にずっとひとりで作業したんだ。まるで実験室にいるみたいだった。サンプリングやローファイ・シンセをどう扱うべきか悪戦苦闘しながら、70年代のコロンビアで録音されたレコードのようなサウンドを探ってたんだ。

— ムーピー:どのパートからつくっていくことが多いですか? ベースラインだったり、リズムが先だったり、サンプリングからだったり、リフからだったり…

■ ペドロ・オヘダ:曲によってまちまちだね。サンプラーでループをつくることから始める場合もあれば、アイディアを思いついてすぐにパーカッションで録音してって場合もある。ベースラインが浮かんでそこから発展させることもある。とにかく直感でやってるんだ。試行錯誤の連続だよ。インスピレーションになるものはただひとつ。音楽を素直にグルーヴさせて、自分自身に心地良く響くようにするってことだね。

— あなたはすぐれたドラマー、パーカッショニストであるにもかかわらず、サンプリングのループやドラム・マシーンと一緒にプレイすることをまったく厭わないというか、とてもオープンですよね。日本ではクォンタイズされたリズムに偏見を持ってるラテン音楽ファンもまだ多いんですが…。

■ ペドロ・オヘダ:僕にとってドラム・マシーンやサンプリング・ループやコンピューターと一緒に演奏してグルーヴをつくりだすことはすごく意味のあることなんだ。もう何年もいろんなプロジェクトでやってきたことだね。フレンテ・クンビエーロやシュパミ・エル・デド、サイドステッパー、エル・レオパルド…。いまじゃもう自然なことのように感じるよ。大切なのは”マシーンをヒューマナイズする”ことだ。マシーンをまるでひとりのミュージシャンが演奏してるようにオーガニックに響かせるんだ。

— サンプリングも多用してますよね。例えばロス・クランベーロス・デ・グァジャバルをサンプリングしてまったく別のコンテクストに流し込み、新たな曲に仕立て上げたのには驚きました。レコード・コレクターでもあるんですか?

■ ペドロ・オヘダ:イエス。サンプリングが大好きなんだ。僕は”サンプリング・ハンター”なんだよ。レコードを聴くときはいつもサンプリングのことが頭にある。(演奏するだけじゃなくて)音楽を聴くことも好きだしレコードも集めてるし、DJもするよ。

— ロンペラージョの音楽はよく「イカレてる」とか「変態」とかって言われますが、コロンビアのレコード、特にマチューカ(Machuca)とかフェリート(Felito)といったレーベルのカタログを聴いてるとロンペラージョの先駆けともいえるサウンドに出会うことがあります。例えばマチューカに『EL CARNAVAL』ってLPがありますよね。先日アルバムを通して聴き直してたら、「えっ、これってロンペラージョじゃないか」って思いました。キテレツで自由奔放とも思えるロンペラージョは、実はコロンビアが70年代80年代に産み出したサウンドの歴とした後継者でもある。あなたはそれらを掘り起こして、今に蘇らせようとしてるんじゃないかとも思えます。

■ ペドロ・オヘダ:まったくその通りだ。僕はロンペラージョを、とりわけ『QUE JUE?』をマチューカやフェリートの音を引き継ぐサウンドだと思ってるんだ。おかしなことに、マチューカやフェリートは、クンビア・シグロXXやアベラルド・カルボノ、グルポ・アバルカ、ソン・パレンケとか、あんなに素晴らしいレコードをたくさんリリースしてるのに、若い世代に受け入れられているとは到底言えないんだよ。

— 狂ったアフロ・コロンビアありディープなクンビアありガレージ・ファンクありアシッドなフォルクローレあり…『QUE JUE?』はまるでマチューカのコンピレーションを聴いてるようです。マチューカやフェリートのカタログがコロンビアでも若い人たちに聴かれていないというのはちょっと意外、残念ですね。個人的におすすめのタイトルを教えてもらえますか?

■ ペドロ・オヘダ:コンフント・ソン・サン、ソン・パレンケ、ラス・カシンバス・ネグラ、クンビア・シグロXX、ラ・クンビア・モデルナ・デ・ソレダード、マヌエル・ベルトラン、ラ・ニニャ・エミリア、ロス・ソネーロス・デ・ガメーロ、ギル・アルタマール・イ・ス・コンフント、ネルダ・ピニャ、ラモン・チャベーラ、あとチャンペータとテラピアのレコードは全部だね。

— ムーピー:声ネタのサンプリングは自分の声も使ってるんですか?

■ ペドロ・オヘダ:演奏も含めていっぱいサンプリングしてるよ。ヒップホップの音づくりのプロセスにちょっと近いかな。サンプリングして、演奏して、それをまたサンプリングしたりして、そうやって曲全体をレコーディングしていく。

— ムーピー:ティンバレスやカウベル、そのほかパーカッションを録る時はコレと決めてるマイクがありますか? マイクのセッティングや録り方に興味があって。

■ ペドロ・オヘダ:こと録音やエンジニアリングに関しては試行錯誤、経験の賜物だよ。とにかくやってみてどうなるか試してみる。ドラムやパーカッションに関していえばワン・マイクで録るのが好みだね。値の張るマイクは持ってない。でも何本かお気に入りマイクがあって自分にはバッチリなんだ。そのうち一本はすごく安物のリボンマイクで、それをあまりドラムに近づけないでセッティングする。すると良い具合に空気感が録れる。理屈じゃなくてとても直感的にやってるね。

— ムーピー:パーカッションのミックスをするときに大事にしてることってありますか?

■ ペドロ・オヘダ:いろんなやり方があると思う。でも僕にとって大切なのはシンプルにやることだ。コントロールを失わないようにね。基本的に1曲録音するのに打楽器は四つくらい、多くても五つまでに収めたいかな。1. ティンバレスとカウベル。2. コンガやジャマドール。3. グァチャラカ、ギロ、あるいはマラカス。4. タンボール・アレグレ、ボンゴ、あるいはカハ・バジェンタ。5. ドラム・セット。それぞれの楽器はミックスの中でちゃんと聴こえるように左右に振り分ける。なおかつうまくまとまって聴こえるように、ディレイやリヴァーブは楽器によってそれぞれ別のものを使うようにしてる。

— ムーピー:なるほど。ところで『QUE JUE?』のジャケ、素朴な風景だけどなんだかすごく好きなのですが、この場所はどこなんでしょう? 誰が描いたんでしょう?

■ ペドロ・オヘダ:仲の良い友人でもあるマテオ・リバーノだよ。素晴らしいアーティストで、DJでもあるんだ。ロンペラージョの最初のアルバムのアートワークもマリオだ。アルメニアっていう、コロンビアの小さな町の写真を見せて描いてもらったんだ。コロンビアのような第三世界のトロピカル・カントリーの典型的な道ばたの様子を伝えたかったんだよ。

— ムーピー:ロンペラージョはボゴタでライヴするときはどんな場所または音楽シーンでやっているのでしょうか? コロンビアの音楽シーンの全貌が見えていないので、とても興味があります。

■ ペドロ・オヘダ:普段はボゴタでもいろんな場所でやってるよ。いくつかのライヴハウスやバーは友人たちがやってるんだ。ラティーノ・パワー、マティク・マティク、ブーガループ、エル・アノニモ。僕らがいるシーンは決して大きなものではない。でもすごく活気があって勢いがあるんだ。

— 最後に、レコーディングなど今後の予定があれば教えてください。

■ ペドロ・オヘダ:今後の予定は、ただただ音楽をつくり続ける、そして演奏し続ける、それだけさ。

〈June 2019〉