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<インタビュー>
ワダマンボ (WADA MAMBO)
『homemade monaural delux 2』

カセットコンロス、ペンペンドンピー、チエコ・ビューティ&にゃ~まんずなど、ライヴにレコーディングに、多彩な活動を繰りひろげるワダマンボ。
2007年にリリースしたソロ・アルバム『homemade monaural DELUX』は、リズムボックスが発するカリブ〜ラテン訛のリズム、イナタくこぢんまりと心地良いメロディーとともに、「録音物」がいつのまにやら失ってしまった音の質感や手触りをあちこちから拾い集めて音楽に取り戻した名盤としてマニアの間で語り継がれている。
そしてコロナ禍のいま、15年のときを経て続編『homemade monaural delux 2』がいよいよリリース。
マイティ・スパロウやデューク・オブ・アイアン、アルセニオ・ロドリゲスからO.K.ジャズ…収録曲の全曲解説を含む、トロピカル・ミュージックへの愛と希望、気骨と笑いに満ちたロング・インタビューをお届けします。
ワダマンボを”掘れ”ば、音楽はもっともっと楽しくなる。

Interview by 森本英人

【『homemade monaural DELUX』の誕生】

— 『homemade monaural DELUX』をリリースしようと思ったきっかけはなんだったんですか?

ワダマンボ — vol.1の方は、2007年くらいだから15年前すね。バンドでやるとかっていう目的とかあんまりない状態のデモ録音をちょこちょこ録りだめていて、それを当時のホームページの隅っこにリアルプレイヤーで上げてたんすよね。ガッサガサの音だし、演奏もラフだから聴いてほしいような、聴かれたくないような気持ちなので、こっそり。それを当時コンロスをリリースしてくれてたbasis recordsの立岩くんに見つけられてしまって…(笑)。「ワダくん、これリリースしましょ!これはありえない、おもろい!」って。

— そういう人って大切ですよね。僕はこのCDを聴いて、ワダマンボって人は思っていた以上に音楽的にキケンな考えの持ち主だと気づいたので、残してくれたことに大感謝です。 でも普通「じゃあもう一度ちゃんと録り直して」って話になりますよね。もう一度ちゃんとした環境で、と。そうならずに、この音をまるごと作品としてリリースした背景には、立岩さんとどんな会話があったんですか?

ワダマンボ — おれ自身は「ホントにリリースするの?やっぱりやめませんか」って、ずっと尻込みしてたんすよね。売れるわけないって。でも、「この質感がいい。手触りが」とかうまく言いくるめられて。立岩くん自身は、ルーツ・ミュージックとかカリブ音楽とかすごい詳しいわけじゃないけど、だからこそ説得力あるというか。 で、リリースしたら意外と反響があったんすよね。カセットコンロスのイメージと違ったみたいで。「すいません、コンロスなめてました」とか言われたもんな(笑)。バンドではカリプソっつてもアッケラカンとしたムードしか表現できてなかった頃だったから。家でギター弾いてると、封印していたはずのガッサガサのブルース魂がフツフツと…(笑)。

— ちょっと意外すね。ロバート・ジョンスンのナチュラル・リヴァーブ的な音響のおもしろさはいくらでも見つけられる作品だから、確信犯なのかと思ってたら。「質感がいい、手触りがいい」、まさにそれなんですよ。

ワダマンボ — ナチュラル・リヴァーブ(笑)。ギターアンプのリヴァーブが壊れてて、エフェクターとか持ってないから、タイル張りの風呂場で爆音で鳴らして録ったんすよね〜。

— じゃあリリースして思わぬ反応があって、自分の中でもけっこう変化があったと。

ワダマンボ — そう。あのCD、結構ミュージシャンとかDJに好評だったんすよね。それもデカかった。自分の中での「これでいいのだ」みたいのはグンと伸びた気がしますね。だいぶ楽になった。

Homemade Monaural DELUX (2007年)

— リリースを前提にしていないだけに、なによりワダさん自身にとって気持ちの良い、刺激的な音なわけですよね。
「Harmony」はどうやったらあんな音になったんですか?

ワダマンボ — 「Harmony」は、ほんとうはおもちゃの鉄琴を重ねようと思ってたんですが上手に弾けなくて(笑)。鉄琴のフチの木枠部分を叩いてリズムをとってるだけになってしまって。あまりに素朴だったので、カセットMTRで録ったやつを、実家の物置にあった昔のポータブルのオープンリールに落としてみたらガッサガサの音になってノスタルジックな感じになりましたね。ソニーの家庭用オープンリールなんですが、ケースに入ってた録音済みのリールを再生してみたら、おれがまだ生まれる前の頃、たぶん5歳くらいの兄と両親が食事してるときの会話が録音されていて、なんかステキだなぁ、とか思って。

— あの音はオープンリールに落としてたからなのか。まさに追憶の彼方へと持っていかれる感じで素晴らしいです。最初聴いたときはハラハラしたけど。こんな音で大丈夫なのかな、真面目なひとから怒られないかなって(笑)。

ワダマンボ — ほかにもアンディと一緒にやった「Bamboo Time」ってやつはメトロノームを最速にしてカチカチ鳴らして南アフリカっぽいビートにしてみたり。基本、家にあるものでなんとかするスタイルですね。それは今もそうだけど。

— 和み系アルバムのような佇まいとは裏腹に、実は『homemade monaural DELUX』は全編チャカポコ変な音色のリズムが鳴ってるんですよね。

ワダマンボ — バンド・サウンドが好きなんすよね。リズムがあって、好きな音でギターが聞こえて、いいメロディだったら、きれいに整ってなくても全然よいなぁと思います。

— ギターの添え物じゃなくて、あくまで別人格のリズムが鳴ってる。リズムが先にあって、ギターをぶつけにいってるような曲もありますよね。ライブでもよくリズムボックスを相棒にやってるし。

ワダマンボ — メロディを立てようとするとリズムが引っ込んで、リズム立てようとするとメロディが不自由になったり、そういうの絶妙な塩梅になると良いなぁと思って。メロディとリズムがせめぎ合うというか。リズムボックスとかメトロノームはね、スクエアなビートに前に乗ったり後ろに乗ったりできたら理想的なんすよね。メロディが乗ると急に血が通い始める感じ。そういうの、エマーソン北村さんはすごいすよね。すごい好きなんすよ。いきなり体温出てくる感じとか。 あと、箱庭的な愉しみかなぁ。

— エマーソンさんはもちろん素晴らしいけど、ワダさんもすごいよ。「Mellowtone」なんて血が通いすぎてて、メトロノームの方がリズム外してるのかって思うくらい(笑)。

家庭用オープンリール SONY-O-MATIC

【足りないって素晴らしい】

— 箱庭的っていうのは、たぶん趣味全開で好き放題やってるってことだと思うんですけど、一方でワダさんの音楽って全然完結してないっていうか。『homemade』もそうだし、ライヴを観てて特に思うんですけど、この場所、このメンバー、このお客さんっていう状況を音楽に積極的に取り入れようとしてるのかなって思うんです。そのときその状況だけの一回こっきりってことを音楽に反映させるっいうか。ライヴもテンポにしろ曲調にしろ毎回ケロっと違うでしょう?

ワダマンボ — その場限りっていうのはすごい意識してますね。だからこそ大胆にできることとかあって。 宅録のときも、各パート録ったやつを全部パラでスピーカーでデカい音鳴らして、リズムのスピーカーは遠くに置いて、ギターは最前列でアンプ鳴らして…とかやって最終的にマイク一本で録ったのとかもあります。そういうのはめちゃラフでライブな音になって、多少のズレもヨレも許しちゃう。自分に優しくなるす(笑)。

— あれはいつだっけなぁ、吉祥寺のバオバブでワダマンボ&アンドウケンジロウのライヴがあったんですけど、それがものすごいライヴだったんですよね。ふたりとも繊細で艶のある音を出してて、ほんとうに息ぴったりで。ワダさんは「ずっと東北をツアーしてて帰ってきたばかりだから」って言ってたけど、なんだか一気にすごいところまで行っちゃったなぁって感動して。で、そのあとすぐにまたイベントで一緒になって、そしたら先日とは全然違うアップテンポでやりはじて、ミストーン連発してるし、ああ、この人たちは良かったときのライヴを再現することにはまったく興味がないんだなと(笑)。

ワダマンボ — 確かに。テンポは変わっちゃいますね。そして速いテンポで始めて後悔することも多い(笑)。見切り発車!

— でも結局それはそれですごく良くて。そのとき限りの代え難い良さがあるんですよ。で、一時期ちょっと真剣に考えたことがあるんです。グレイトフル・デッドのファンがライヴを録音してサイトで交換してるじゃないですか。あれのワダマンボ版ができないかなと。ライヴで録音したワダさんの演奏をみんなでどんどんアップしていく。「○月○日福島の音源です。『Tiny Twelve Bars』のイントロでミスってますが、後半のソロが絶品です」みたいな(笑)。

ワダマンボ — 良いとこも悪いとこも全部出すので、その上で好きになってください。それが愛です。みたいな(笑)。

— 安定感より一回こっきりのスリルを大切にしたいので一度観ただけで嫌いにならないでと(笑)。
以前ドラマーの菅沼雄太さんと話したとき、ワダさんのことを「みんなあの笑顔と人当たりの良さに騙されてるけど、音楽的にあんなにむちゃくちゃな人はいない」って言ってたんです。「ある程度リハを重ねて、これであとはパーカッションが入ったら音が決まるなって思うんだけど、そう言っても絶対にうんと言わない。それやったらつまんなくなっちゃうじゃんって言うんだよね」と。

ワダマンボ — 足りないって素晴らしいと思うんすよね。鍵盤いないとか、ホーンセクションいないとか。ベースいないとか。あるべきものがないのが好きですね。例えば、コード感足りないはずなのに、クラリネットとギターの単音でなんとなくコードっぽく聴こえるようにしたり。 昔の、あるスタイルを再現するのが僕らの正解ではないから。もう、ハナから足りないの。それをメンバーそれぞれがなんとかするっていう、そこにアンサンブルとアレンジの醍醐味を感じるんすよね。

— いつも「スカスカでやりたい。足りてないのがいい」って言ってますもんね。単に音数云々の話じゃなくて、そういうことなんですね。ちなみに菅沼さんは「だからこそワダさんとやるのが楽しくてしょうがない」って言ってたんですけどね。

ワダマンボ — あと、他人と連絡とるのが異常に苦手なので極力少ないメンバーでやりたいっていうのもあるかもな(笑)。
菅沼くんは、いま鳴ってる音を俯瞰して眺めるセンスが飛びぬけてるし。いま僕が関わってるバンドの顔ぶれは皆そうですね。足りないの上等、反応が早くて判断力が鋭い。そういうひととやるのが楽しい。勝手に聴いたことない音になるじゃないすか。

— 自分の頭の中にあるイメージを再現するんじゃなくて、「聴いたことのない音」になるのを期待してる(笑)。

ベルリンにて

【こだわるけど縛られないように】

— それにしても前作に思わぬ反響があって手応えを感じたにもかかわらず、そこから15年っていうのは長いですね。

ワダマンボ — 15年も経ってたかって感じですね。前のを出してから、カセットコンロス以外にもバンドいろいろ参加させてもらって。どれも割とコンスタントに動いてたので、慌ただしくライブばっかやってましたね。それらでツアー行ったりしたら旅先でお客さんから「宅録のまた出してください」とか言ってもらえたりして。 サポートとかセッションってタイプじゃないので、ライブで練り上げるから、毎度自分にアイデア入れ込んで臨みたいっていうのもあって、じっくりまとまった時間がつくれなかったのはあります。全部肥やしになってるので、全然それでよかったと思うけど。 あと、曲づくりはゆっくりやりつつ、録音方法をいろいろ試行錯誤したりしてたのもありますね。あ、録ろうと思ったら、機材壊れててそれを修理したり(笑)。

— この15年間で音楽的に変わったことってあります? 逆にどうしたってこれは変わらないなと気づいたこととか。

ワダマンボ — どんどん縛られなくなってきた気はしますね。こだわるけど縛られないようにと思って。ピカントでレコード仕入れて売ったりしてるから、毎日知らない音に出会うんすよね。それもあって周期的に世間とはまったく関係ないマイブームみたいなのがあって。トリニダード産だけどカリプソじゃないやつばっか聴き始めたり、チャチャチャは素晴らしいぞとか、南米のオルガンが変で良いとか。そうやって進んでガラパゴス化していって、微妙な変化は常にありますね。

— 『homemade』シリーズでは、ワダさんのあらゆる面を垣間見られると思うんです。ミュージシャン、ギター・プレイヤーというだけに留まらず、レコード・ショップのオーナーで、ガラクタ楽器収集家で、世の流行り廃りとはほぼ関係ないところでリイシューのライナーや原稿を書いてて…エルモア・ジェイムスの全録音を聴き倒してなにか書くとか、吾妻光良さんとゲイトマウス・ブラウンの全録音を聴きながら対談するとか(笑)。そういう壮大な無駄、「この人、なに馬鹿なことやってるんだろう?」っていうワダさんのすべてがある。

ワダマンボ — なんだかよくわからない生き方ですが(笑)。全部繋がっていて必然なような気がしてるんすよね。自分にとっては。ずっと音楽聴いてきて、古いレコードの音のほうがどう聴いても迫力あるように聴こえる耳になっちゃってるから。そんな風に録ってみたいなと思うじゃないですか。でもヴィンテージのすごい機材は持ってないし買えないから、リサイクル屋で2~3千円のカセットMTR買って来てやろうとしたら大体どこか壊れてて(笑)。で、修理して。そしたら自分にとってはたまらなく愛おしい音になったりするんですよね。手間暇かかってるし。金はかかってないけど(笑)。

— 修理して使うからいやでもオリジナルなものになっちゃう(笑)。
その人がどうやって生きてきたか、どう考えて生きてるのかは、どうしたって音に出ちゃいますよね。

ワダマンボ — 出るんすよね。というか音に出していきたいすよね。人間まるごと音に出ていて、それで認めてもらえないならもう諦めましょう(笑)。
コロナ禍でバンドマン連中はみんな“音楽と生活”みたいなところを考えさせられたと思うんですよね。多かれ少なかれ。そんな中でもまだこうして、音楽にたずさわったいろいろだけで生きていけてるっていうのは幸せだとは思いますね。それは、もちろん家族とか聴いてくれたりライブ来てくれる皆さんのおかげなんですが。なんか最近そういうの考えちゃって、珍しくちゃんと感謝をしようと。

— ワダさんはカリプソニアンでもあるから、僕の知ってる限り、コロナ禍の状況をいち早く歌にしたひとです。ペンペンドンピーの「オレンジ」で「もう3ヶ月も誰とも会っちゃいないけど」って歌ってるんですけど、3ヶ月どころじゃなくなってしまった。失ったものはとてつもなく大きい、もう取り返しのつかなくなってしまったことも多々あるけれど、でもコロナ禍はいろんなことを見直すとても大きなきっかけになりましたよね。今回のリリースとコロナ禍って、やっぱり関係ありますか?

ワダマンボ — やっぱりライブできなくなって、配信とかもチャレンジしてみるけど僕らの思ってるライブ感とは違うなぁ、とか悶々としたりして。そうなると曲つくって録っていくしかない。音楽の伝え方がだいぶ変わってくるだろうな、っていう覚悟を決めたっていうのはあるかもですね。動けない期間は割り切ってつくる、録る。これは、やるヤツとやらないヤツでだいぶ差が出るかもなぁ、と。そう思って録っていくんですが、それよりなにより、いろいろ録りだめてるやつをそろそろ何とかしなきゃって。だから、今回のリリースのぶんはコロナ禍以前のが大半で、それらをミックスし直したりして、まずこいつらを聴いてもらおうと。

【ベースにいろんな役割を担わせるとおもしろい】

— じゃあ、いよいよ『homemade monaural delux 2』を聴いていきたいと思います。
① 「Bakelite Special」は2015年の録音ですね。6年前。この曲は初めて聴いたときはちょっと意外な気がしました。ベースもドラムもひとつの方向に向かって、心を通わせて歩いていくのを楽しんでるといった風情で、ワダさんにしては逆に珍しいなと。

ワダマンボ — 「Bakelite Special」はですね、サックス吹きのビッグ・ジェイ・マクニーリィの「Deacon’s Hop」って曲のイントロが凄い好きで。ハイハットのチーチッキチーチッキっていう。ああいうのサックスだと映えるけど、あんまりギターでみんなやらないな、と思って。あんな感じの曲つくりたかったんですが、なぜか夕暮れっぽい感じになってしまいましたね(笑)。

ビッグ・ジェイ・マクニーリィ 「Deacon’s Hop」

— マクニーリィ! ハイハットは印象的だったけど、さすがにそれは出てこなかったす(笑)。マクニーリィはチカーノ・シーンでも人気があったみたいで、「I Got The Message」的な、木漏れ日の中で聴いているような気持ち良さがあるけど。

ワダマンボ — あとイントロ、ブリッジ、アウトロの半音で下りてくるフレーズは、ターンアラウンドっていうブルースのお尻の部分のやつなんですが、それを倍の尺でやっていて。あれが、すごい好きなんすよ。ブルースはもうずっとターンアラウンドで良いくらい好き(笑)。
それにしても全然「Deacon’s Hop」じゃないな。なんでこうなっちゃったのだろう。やっぱ、ひとりで家で曲つくってるとイケイケな気分にならないことが多いというか、すぐネコが膝の上とか乗ってくるし。仕方ないですね。でも自分でもすごい好きなメロディなんですよ。

— エレガントな曲だなぁ思ってたら、ネタはどれも思いっきりドス黒いじゃないですか(笑)。相変わらずネコたちもレコーディングに参加してるし。

ワダマンボ — 先代のクロネコ、マンボはギターの音が嫌いだったんすよね(笑)。弾き始めるとワーワー言って「やめろやめろ」って。チロルというマンボの妹分のクロネコはギター弾いてると膝の上にくる。好きなのか、実力行使でやめさせようとしてるのかわからないけど(笑)。あとシロネコが二匹いてですね、そいつらは一階のお店のコンガの上で道路を眺めてるのが好きですね。

— 「Clock-O-Clock」でクロネコのマンボが鳴いてたのは「うるせえなぁ」って言ってたんだ(笑)。
ペンペンドンピーの7”つくってるときにもさんざん言いましたけど、僕、ワダさんの弾くベースが好きなんですよ。特にこの曲のベースは好きですね。 以前、ベースにうるさいって言ってましたよね。

日常

ワダマンボ — ベース、好きなんです。特にシンプルな編成のときに、ベースにいろんな役割を担わせるとおもしろいんですよね。完全にリズム楽器に寄ったり、ホーンセクションみたいなリフをやったり。ルート弾くだけじゃなくて、場面によって浮いたり沈んだりするというか。
「Bakelite」のベースは、ゴミ収集場に捨てられてたボロボロのアコースティックギターにコントラバスの弦を張ったやつを弾いてます。ペンペンドンピーの録音でも大活躍するウッドベース風サウンドですね。秘密兵器(笑)。

— 出た! ガラクタ楽器回収人(笑)。

ワダマンボ — 長見順さんと岡地さんには「チャールズ・ミンガスみたいだ!」って褒められるんですよ。いつも。そんなわけない(笑)。

— 褒め方もスケールが違うなぁ、あのふたりは(笑)。
でもペンペンドンピーも今回のアルバムも、聴いてるとベースに耳が行くことが多いです。ギターが消えて埋もれてたベースが聴こえてきたときに、良い音で鳴ってるなぁとしみじみ思います。シンプルなんだけど本業のベーシストには逆に出せない音なのかな。親指で弾いてるんでしたっけ?

ワダマンボ — だいたい親指です。ギタースケールにベース弦張るからテンションが緩くて。強く押さえると音程変わったりして、ちょっとウッドベースとかベイビーベースみたいな風に聞こえたらいいなと思っていて。

— ボンボンって、ベースなのにちょっとリズム楽器っぽくもあるような、音がいい塩梅に消えていくやつ。
②「Shango Man」はマイティ・スパロウのカヴァーなんですが、これもまずイントロのベースがいい。

ワダマンボ — まさにこのベース、がんばって押さえてしまってちょっとチューニング怪しいんだけど(笑)。リズムボックスのヘッポコ具合いと良い塩梅だったんで、そのままにしちゃったす。こういうベースラインとか、単純にコードのルートを繋げるだけじゃない、リフっぽい考え方っていうのは、ロックステディとかジャマイカの音楽は大いにヒントになるんですよね。すごいおもしろいなぁ、と思って。

— この曲はもうオリジナルが素晴らしいんですよね。

マイティ・スパロウ 「Shango Man」

ワダマンボ — 原曲はパーカッションがものすごいですね。スパロウとかキチナーって、メロディが楽器の旋律っぽくてインストでやるとやりがいあるんですよね。弾いてると楽しい。歌うと難しい(笑)。

— 実際インストの名カヴァーの多い曲ですもんね、ソリッド・7・コンボのとか。
③「Calypso De Nostro Amor」はなんとコンゴのO.K.ジャズのカヴァー。今回のアルバムではO.K.ジャズの曲を2曲取り上げてます。ワダさんにとって、O.K.ジャズ、あるいはフランコのギターの魅力ってどんなところですか?

ワダマンボ — やっぱりギター・ミュージックとして聴いちゃうんですけど。キューバの古い感じとかチャチャチャとかのメチャクチャ歪んだ解釈というか。初めて聴いたとき、マーク・リーボウの偽キューバ・セットあったじゃないすか、アレと同じ手応えだったすね。あ、こりゃ最高だ!って。

— フランコのギターを聴いてると、アルセニオ・ロドリゲスのトレスのフレーズっぽいのがちらほらあるって言ってましたよね。

ワダマンボ — そうそう、スケールとかぶっちぎってアヴァンギャルドに飛んで行っちゃう感じ。逆に言うと、アルセニオってキューバでも格別にアフロ色濃いとも言えるのかな。
そういえば、この曲はヒデさんに教えてもらったのでした。全然カリプソじゃないけど変なのあるよって。ヒデさんとショウちゃんに『ハイライフ・ヘヴン』にインスト・バンドで誘ってもらったときに、いろいろ音源教えてもらって。なんかDJ的にどのあたりの曲みんな好んでんのか知りたかったんすよね。

O.K.ジャズ 「Calypso De Nostro Amor」

— あの頃は、東京でアフリカの音楽をやっているバンドっていうとフェラ・クティ・フォロワーばかりだったんで、ワダさんだったらなんか変なことやってくれるんじゃないかって、コンゴの古いルンバとかガーナやナイジェリアのハイライフの7”から録音した音源を勝手にどんどん送りつけてたんですよね(笑)。 『ハイライフ・ヘヴン』というイベントをショウちゃんと企画して、ワダさんにイベント用のバンドを組んでもらって演奏してもらったんですけど、そのときのバンドがすごく良かった。全然ハイライフじゃなかったけど(笑)。ドラムが菅沼さんでベースがコウチさん、そしてサックスにアンディ。当時送ってもらったリハの音源はいま聴いても素晴らしいです。いつかあのメンバーでレコーディングを、という気持ちはずっとあります。

ワダマンボ — そのうちやりたいすね。今回の宅録って、そういうののデモだったりデッサンというか。ここに収録された曲があのときのバンド編成でやったり、歌詞がついてコンロスでやるかも知れないし、ペンペンのなにかモチーフになるかもだし。リリースするからって作品として完成したものじゃなくて良いと思っていて、そういう意味での実験だったり試行錯誤の過程を見てもらいたいっていうのもあるんすよね。

— パンデミックにならなければ、ちゃんとレコーディングして7”で世に出たかもしれないという曲がこのアルバムにはいくつかあるんですよね。

『HIGHLIFE HEAVEN』第一回目のフライヤー(2015年)

【来なかった未来】

— イントロのビートが印象的な④「Paseo」は”Traditional”となってるんですけど、これはどこのトラディショナルですか?

ワダマンボ — これは元はパランです。トリニダード・トバゴのクリスマスに聞かれるラテン色濃い音楽ですね。パーカッションはハイチのレコードから拝借してループつくりました。

— この曲を聴くと、ワダさんから「アンセル・ワイアットって知ってます?」と訊かれたときの衝撃を思い出すなぁ。アンセル・ワイアットは60年代にLP一枚と7”を何枚かTELCOに残してるトリニダードのギタリストで、「Slave」とか「Gitana」とかエゲツないほどカッコいいい曲があって当時僕は秘かに探してたんですけど…まさか気にしてる人がいたなんて。彼はどうやってワダさんのアンテナに引っかかってきたんですか?

ワダマンボ — ロード・キチナーのバックとかやってたフィッツロイ・コールマンがものすごい好きで、トリニダードのギタリストをいろいろ調べて出会ったんじゃなかったかな。TELCOのコンピレーションに入っていたような。

— というのもアンセル・ワイアットなんて、真面目にカリプソやいわゆる「ワールド・ミュージック」としてカリブの音楽を聴いてるひとたちには相手にされてこなかったし、これからもされることはないと思うんです、イロモノ扱いでおしまいでしょう。あの当時ワダさんは「カリプソより映画音楽のカヴァーやってるカリブの楽団やホテル・バンドの方がおもしろい」とも言ってて、それにもびっくりした記憶が。

ワダマンボ — あ、カリプソ楽団がやってるダンス・バンド的なやつすね。映画音楽とか、ジャズのスタンダードとか、クラシックの曲をカヴァーしてるやつ。優雅なのにホーン・セクションが鈍臭かったりしておもしろいんすよね。 ああいう中からスモール・コンボの時代になって、トリニダードの寺内タケシって感じでワイアットとかが現れて、また変な感じになっちゃう(笑)。
欧米や日本もそうだけど、50年代あたりは世界中にああいうラテン楽団みたいのが存在していて、チャチャチャとかやってたわけじゃないすか。ブラジルにもあるしトリニダードにもあった。そういうのでエレキギターが聴こえると大体オーケーなところがあるすね。営業っぽいレコードでアーティスト名も表記されてないようなのも、ギター入ってるとドキッとするんすよね。

アンセル・ワイアット 「Gitano」

— アフリカやカリブ、ラテンを聴くときに、「このバンドよりこっちのバンドが優れている」「いやいや、こっちだ」とかみたいなことをみんなずっとやってきたんですけど、でもより優れたものを求めているうちに切り捨ててきたものがいっぱいあって。その切り捨ててきたものにいまとても惹かれるんですよね。『homemade』シリーズって、そういう切り捨てられたものをコツコツ拾い集めて…。

ワダマンボ — 自分の身近で考えても、おもしろいことやってるやつが必ず録音残してるわけじゃないし、いつの時代も主流にならなかった枝葉というか細い支流みたいのが沢山あって。もし、そういうのが市民権を得てたらどうなってただろうとか想像するんすよね。その続きがあったんじゃないかって。

— 例えばアフロビートというとホーン入りの大所帯といまでは相場が決まってますけど、70年代の西アフリカにはオルガン主体のトリオとかスモール・コンボのアフロビート・バンドのシーンがあった。でもわずかなバンドが数枚の7”を残しただけで消えてしまった。その残された7”が僕は大好きで…彼らがもっとレコーディングを残してくれてたらなぁっていつも思います。その続きを、いまからでも始めたいなとも思うし。

ワダマンボ — それ! “来なかった未来”ですよ(笑)。昔思い描いた未来って、例えばガメラの宇宙船とか。紙のレシートみたいなのに穴がポチポチ開いたやつで通信する、なんだかファックスの原始的なやつみたいなのあったじゃないですか。おれ、あれカッコいいなぁ、ってずっと思っていて。でも実際はメールとかインターネットのほうが宇宙船より先に発達して、いまガメラとか観ると滑稽なシーンになってしまうけど。あぁいう“来なかった未来”はステキなんですよ。だからね、そういう紙の穴ポチポチ通信の最新型みたいな音楽をですね、レトロじゃない感じで進化させられたら良いなぁ、と。もうほんとうになに言ってるか自分でもよくわからないですが(笑)。

— いやもう痛いほどわかりますよ(笑)。
なんでみんな過去の音楽を聴かなくなっちゃったのかなぁ。夢は見放題、ミュージシャンにとっては宝の山なのに。
⑤「Franco Akeyi」なんて59年リリースの曲ですよ。オリジナルはクラリネットのソロが印象的なノスタルジックなボレロなんですけど、いま聴いても新鮮ですよね。

ワダマンボ — 「Franco Akeyi」は、こんなメロディは絶対自分の中からは出てこない。なにが違うんだろうと思って何回も聴いてたらハマってしまって。メロディの息つぎの間とか、メロディ自体のループ感とか。謎の引力があって。

— まさに『マーク・リーボウの偽キューバ人たち』のその続き、アフリカ版といった趣。

O.K.ジャズ 「Franco Akeyi」

ワダマンボ — ですね。ギターだけでやるとますますそんな感じに(笑)。
しかし、ああいうフレーズの切り方とか、巡り方って、言語感覚というか。「なんでこうなるの?」って(笑)。逆に、身体に沁み込んだら自然にいくらでも出るようになるのかな、とも思いますが。いまんとこ、ヘンテコなフレーズをおもしろがってガレージな気持ちで弾くしか料理の仕方がないけど(笑)。

— O.K.ジャズって、キューバ音楽だけじゃなくて、さっきのカリプソとかメレンゲとかカリブの音楽や、コンゴのフォルクローレも取り込んでやってたから、ユニークさは図抜けてますね。ルンバやチャチャチャ、ボレロといっても、尖っててヘンテコで、あり得ないギターのリフのものがいっぱいありますね。

ワダマンボ — そういういろんなチャレンジが下地になって、スーク―スが出来上がってく過程はほんとうにおもしろいすよね。現代は世界中どこでもあらゆる音楽にアクセスできるって言うけど、実際は昔から届くとこには届いてて皆いろいろ試行錯誤してきてるんすよね。あらゆる音楽に思ってもみなかった要素が入り込んでる。

— それをワダさんは昔から言ってますよね。もっともらしい地域性や時代考証でマクロの要因を並べてたてても音楽の変化はわからないぞと。変なやつがひとりいただけで歴史は変わるぞと。

ワダマンボ — そう。山名昇さんに教えてもらったんすよね。「革命的に変わるときはひとりがカギを握ってることが多い」って。確かに、身近で考えてもね、思考回路が全然違うヤツっているもんね。

【ブルース・ギターの音色は無敵】

— ところで次の⑥「Gentle Giant」で聴けるような、この訥々としたギターの弾き方はどこから来たんでしょう?

ワダマンボ — ハイチとかマルチニークとかヴェネズエラとか、カリブ〜南米あたりのギター独奏が好きでよく聴いてたんすよ。ガットギターでやれば良いんだけど、ガットギターは難しくて。いつものエレキギターをアンプ通さず生音で録りました。

— ジョセフ・スペンスとかギジェルモ・ポルタバレスとか、ハイチのチ・パリとかですか?

ワダマンボ — もちろん、ジョセフ・スペンスはあのギターのタッチとか、それよりなにより「人間と音楽とは?」みたいな点ですごいなと思うし、チ・パリももちろん好きですね。全然弾けないけど、フランツ・カセウスの感じとかも。
あと、独奏じゃないけどハイチのギターだったら、アンドレ・チャールズってひとがものすごい好きですね。フォークウェイズからアルバムが出てるひと。

— ハイチのフランツ・カセウスはマーク・リーボウのお師匠さんなんですよね。

ワダマンボ — そう。それをずいぶんあとから知ったんですよね。20代の頃にフレンチ・カリビアンをいろいろ漁ってたことがあって。でも、当時全然レコードとかCDとか手に入らなくて。なんでもかんでもって感じで、そういう流れでフランツ・カセウスのこれまたフォークウェイズから出てたレコードに出会ったんですよ。で、マーク・リーボウがアルセニオの出して、そのあとでリーボウのフランツ・カセウス曲集聴いて弟子だったと知ってびっくりしましたね。また、「オレは間違ってなかった!」という確信が(笑)。おれ、すぐ運命感じちゃうから。

フランツ・カセウスをカヴァーしたマーク・リーボウの最初の作品集

— 知らなくて聴いてたってのはびっくりすよ。でもやっぱり必然ですね。
でもワダさんのギターってもっとこう、意図的にぎこちなく弾いてるというか、流れるようキレイには弾かないぞっていう意思みたいなものすら感じるんですけど。

ワダマンボ — そこはほら、自分のルーツ音楽の旅はブルースから始まったっていうのをですね。やっぱりゴーンッてやっとかないと(笑)。ブルース・ギターの音色ってやっぱり無敵なんすよね。自分の中では。
ジョニー・ギター・ワトスンとか聴いてると、あのひと、ずっとサウンドは変わり続けたんだけど、ペンペンしたギター・フレーズとペラッペラの歌はまったく変わらなかったんすよね。50年代からずっと一緒。ブルースからリズム&ブルース、のちにファンクまでやるけど一貫してた。あれはやっぱり音色の無敵さとしか言いようがなくて。そういうロマンがずっとある。

— なるほど。あ、 せっかくの機会なんで聞いておこう。ファンの人は知ってるのかな。ワダさんのギターの独特のチューニングの話。普通のチューニングじゃないんですよね。吾妻光良さんは「俺は弾けない」って言ってる。そもそもなんで変則チューニングにしたんですか?

ワダマンボ — ギターのチューニングが変なのは、元々はテナーギターという弦が4本しかないギターをずっと弾いていて。それはジャイヴとかジャズ好きなひとにだけ有名なタイニー・グライムスってひとがいて、それの真似っこだったんですけど。その4弦をレギュラーチューニングの高いほう四つで張ると、コード楽器がほかにいないバンドだとやっぱりちょっと寂しくて。マンドリンとかヴァイオリンとか4弦のバンジョーみたいな5度チューニングってやつに辿り着いたんすよね。これだとちょっとコードがワイドになる。 そういう5度チューニングの4弦でしばらくやっていたんですが、今度はソロでライブやったりすることが増えてきて、低音がなくて寂しくなってきたので、高い方4本は5度チューニングのままで、3~4弦のオクターヴ下を5~6弦に張ってみたって経緯ですね。 6弦から、B♭・F・B♭・F・C・Gという、高音弦はパンパンに張るので結構ネックに負担がかかってるみたいで、ギターを倒してしまってネックが折れるという事例が我が家で立て続けに…(涙)。

— なんでこの人はこんなにギターのネックを折ってばかりいるんだろう?ってほんとうに不思議だったんですけど、そんな真っ当、かつ歴史ある理由があったのか(笑)。
このチューニングによって得られる音的なアドヴァンテージとかってあるんですか?

ワダマンボ — 和音はピアノっぽい響きになるのかも知れないですね。音の並び的には。まぁ、そんなにコード弾かないんだけど。でも低い音が出るのは楽しいですね。ショーロとか聴いてると、メロディのウラでたぶん7弦ギターなんだと思うんだけど、ベースラインよりちょっと装飾音多めでうごめいてるヒトがいて。あぁいうのすごいカッコいいと思って。
高音弦は張りが強いから、音がでかいすね。軽く触れてもパーンと出る。

— あー、なるほど。「Bakelite Special」みたいな曲が妙にエレガントに聴こえたり、さっき「訥々」って言ったけど、「Gentle Giant」や「Old Time Kaiso」とかのメロディがなんだか普通とは違うように聴こえるのも、アクセントが違うというか、そのあたりに秘密があったりするのかなぁ。

ワダマンボ — そもそも小さい楽器用のチューニングだからギターのスケールで5度チューニングにすると、左手のストレッチがものすごいんすよ。異様に指を開く感じ。ドカベンでトノマがピアノ弾くために指の水かき切るハナシがあったじゃないすか、あんな感じ(笑)。でも、幸いおれは関節が柔らかいっぽいんすよね。指は短いけど、手のひらがでかいのと関節がよく曲がるから遠いフレットも届く。指の股を切らなくても大丈夫そうだぞと(笑)。
でもね、ブルースとか弾くのはレギュラー・チューニングがいちばんですよ。あれは感情に直結してるから。よく考えられた音の並びだなぁ、と。人類の知恵の積み重ねを感じますね(笑)。とか言って、いまやレギュラーチューニングのギター持つとブルースしか弾けなくなってしまったんですけど(笑)。

— 聴いてみたいですけどね、その変則チューニングで弾くブルースも。戦前カントリー・ブルース的なのとか。

【ラテン・プレイボーイズの洗礼。小西英理さんのこと】

次の⑦「Helene」はコートジヴォワールのSafie Deenっていうレーベルにシングルを何枚か残しているリズム・デ・ラ・ビアっていうアフロ・ラテン・バンドの曲。そもそもさっきのO.K.ジャズにしろ、意外な曲がカヴァーされて返ってくるんですけど(笑)。特にこのカヴァーは新鮮だったなぁ。オリジナルのホーンやヴォーカルのメロディをギターに置き換えてて、弾き方そのものも、フレーズの切り方とか、「間」が斬新で。

ワダマンボ — 「Helene」は、ベースラインのワン・ループでどんどん展開してく感じが凄いな、と思って。ワンコードっぽいのがもともと苦手だったので修行してみようと思って(笑)。アフロ・ファンクともまた違ったループ感なんすよね。あぁいうの、教えてもらうまであんまり聴いたことなかったな。

— こういうワンコードの上で展開していくギターがスークースやアフロビートのギターになって、コロンビアのアベラルド・カルボノまで繋がっていくんですよね。ワダさんのこういうのをもっと聴きたい気がします。

ワダマンボ — やってみたいすね。キラキラしないスークース(笑)。なんかこう、無敵のループ感というかグルーヴというか、そういうのがないと何事も起きないまま終わっていきそうで怖いけど(笑)。

— 大丈夫。これまで何度かオルケストル・ヴェヴェの「Vivita」をライヴでやってますけど、あれは最高です。必ずレコーディングしてください。

ワダマンボ — 「Vivita」、いいすよね。バンド編成でやりたいですね。

— エキゾチックな⑧「Electrician」はラテン・プレイボーイズ的な一面が出た曲ですね。

ラテン・プレイボーイズ

ワダマンボ — ラテン・プレイボーイズはやっぱりすごい聴きましたね。曲もサウンドも新鮮だったし。ラテンをちゃんと時代のロックにしてたのが衝撃だった。マーク・リーボウのアルセニオのやつとか、G・ラヴがブルースにやったこととか、オル・ダラのアフロ感とか、そういうルーツ音楽を自分なりにやって良いんだよっていう。あの感じは洗礼でしたよね。僕らの世代にとって。
この曲はギター弾かずにカシオトーンとベースとリズムボックスだけで。ベーシックつくったら、それで満足しちゃったんすよ。もっと長くしたりギター入れたり試したけど、結局このままがいいと思って。

— 舞台袖で控えていたのに、バック・バンドがやってる音で充分カッコイイと思って主役が出ていかなかったと(笑)。粋だなぁ。

ワダマンボ — 弾いてたカシオトーンがまたポンコツで。低い「レ」の音が鳴ったり鳴らなかったりするんすよ。で、録ってるときに一回鳴らなくてうろたえてしまって心が折れた(笑)。あとで聴き返すと、まぁなんかそれも愛おしく思えてきたのでそのテイクを採用しようと。事故の直後あたりでフェードアウトして(笑)。

— 良いインタールードになってます(笑)。
 ⑨「kockee-moonga」はデューク・オブ・アイアンのSP盤でリリースされた古い曲で、オリジナルはヴァイオリンのソロも入っててクレオールの香りもします。

ワダマンボ — デューク・オブ・アイアン、好きなんすよ。キチナーとかよりひと世代上になるのかな。あのくらいの時代のカリプソニアンは英国じゃなくて米国に渡ってスウィンギーな感じになったりしますよね。アレもまた良いんすよね。

— オリジナルの裏面の「Mambo Calypso」なんかはモロその流れの中で生まれた曲ですよね。タイトルに「Mambo」とか「Rumba」って入るブルースの曲と似た味わいがあって。

デューク・オブ・アイアン

ワダマンボ — そうすよね。本物なのにエセなカリブ感出ちゃってる感じ。ちなみに「Mambo Calypso」はコンロスのレパートリーにしてました(笑)。
「kockee-moonga」はね、亡くなってしまった小西英理ちゃんがアコーディオン弾いてくれてるんです。コロナ禍になって、お互いライブが全部なくなったときに、暇だからって。英理ちゃんはご近所なのでちょっとウチで録り貯めてみようって、いくつか録音してたんです。その中から一曲入れさせてもらって。 もうすぐリリースの告知始めるよってときに亡くなってしまって。アタマ真っ白になって。いまだに信じられないけど。

— 僕もぼけっとするとつい英理ちゃんのことを考えちゃうんですよね。英理ちゃんはピカントでワークショップをやったり、横浜のサムズアップでワダさんのバンドとよくツーマンをやったりもしてましたよね。

ワダマンボ — そう。コンロスとコパ・サルーヴォで昔からよく一緒になってたし、横浜に引っ越して来たらたまたま近所で。そこから家族ぐるみの付き合いです。 最初にピカント覗きに来てくれて、その場で「ここでワークショップやりたい!」って。常にグイグイ来るから、あのひとは。サムズアップでは、森さんとエリちゃんと、コンロスのダイスケでよくセッションもしたし。本当、たくさん良い思い出あります。 なんか、色々なジャンルのバンドマンがスタイル越えて交流するようになってきたのって、エリちゃんみたいな人が凄い役割を担ってたんだな、って思うすよね。すごい風通しよくなったじゃないすか、ここ数年で。オレなんか、人間がややこしいからなかなか腰が重いんだけど、いろんなとこに引っ張りだしてくれて。「つべこべ言ってないで、やれ!」って。 ほんとうに貴重な逸材だったなぁ、って。

— そうか。言われてみればレゲエ、ラテン、ロック、ジャズ、ヒップホップ…垣根を越えてごちゃ混ぜになる場に英理ちゃんはいましたね。ほんとうに不思議な人で、あんなに音楽仲間やオーディエンスからも好かれてて、存在感はあるのに実はずっと名脇役だったんですよね。いっしょにやるメンバーの魅力を全力で引き出そうとしてきた人だった気がします。主役としてはこれから表舞台に出ていく人だと思っていたんだけど。

ワダマンボ — 音とか演奏だけじゃない大きな穴があいたことを徐々に思い知らされる。深く関わってたひとみんなそうじゃないかな。身体の一部がもげちゃったような感覚だから。乗り越えてかなきゃですね。

— 失ったものは想像以上に大きいのかも。だからこそ、英理ちゃんの存在をこれからも意識して活動していかなきゃいけないのかなと思いますね。 僕はワダさんにシンコペイターズで「Vivita」の録音をお願いしてて、でもコロナでスタジオ入りが難しくなっちゃった。それからしばらくして突然これが送られてきたんですよね。ワダさんの録音に英理ちゃんが付き合ったのかと思ってたんだけど、他にもいくつかやってたんですね?

ワダマンボ — 英理ちゃんのオリジナルがいくつかと、おれのオリジナルもいくつか。のんびり録ってたらお互いライブとかツアーとか再開しちゃったからて録音は頓挫してそのままになってたから、断片的なのもあるんで、なにかカタチにできたらとも思うんですが。まだちょっと気持ちが落ち着いてからですね。

小西英理ちゃんと。ピカントにて

— 「夜道」とか、英理ちゃんのオリジナルも好きだったんすよね。だからそれは楽しみだなぁ。 最後に聞いた言葉が「最近またサルサやりたいんや!」だった。やっぱりあれこれとても忙しい人だったんだなぁ。なのでいまはゆっくり休んでほしいですね。

ワダマンボ — ほんとうに。ご冥福をお祈りします。寂しいな。

【カリプソもショーロも言語とリズムの訛り方が違うだけ】

— 「Mona」はアルセニオ・ロドリゲスの63年の名盤『Quindembo』収録の曲。

ワダマンボ — あのアルバムはアルセニオのアフリカ回帰的な色が濃くて、すごい興味深い。アメリカ渡ってからのアルセニオって変わり続けますよね。すごいチャレンジしてて。「Mona」の原曲はボレロっぽいんだけど、トランペットなしのサックス二本で変わった編成で、一時ずっとこの曲ばっか聴いてて染み付いてしまった。メロディの入り組み方がすごい綺麗で。歌心の応酬って感じ。なのでギターで再現したいなって。 ちゃんとキューバ好きなひとには怒られそうですけど(笑)。

— このカヴァーはすごい。原曲の左右のサックスとアルセニオのトレスの、三つのチャンネルをギター二本に置き換えてるんですが、最初から最後までどんどん展開していきながら、絶妙に絡んでゆく。見事です。
正直に言うと「Mona」は聴きどころの多い『Quindembo』の中でスルーしてた曲なんですが、このカヴァーを聴いて、やっと原曲の素晴らしさに気づきましたよ。まさに歌心の応酬ですね。
ワダさんが50年代60年代の古い曲をよく取り上げるのは、音色やノスタルジックなムードも含めて単純に曲が好きなんだろうと思ってたんです。でも今回いろいろ話を聞いて、その背景にはビッグバンドの音をスモール・コンボやバンド編成に置き換える楽しみがあるんだということもわかってきました。

アルセニオ・ロドリゲス 「Mona」

ワダマンボ — チック・ウェブ楽団から飛び出したルイ・ジョーダンのティンパニー・ファイヴとか、カリプソ・ビッグ・バンドからスモール・コンボに移行する時代のアンセル・ワイアットとか。独立!自営!人員削減!みたいな(笑)。そこには創意工夫がたくさん必要で、チャレンジの醍醐味があるんすよね。

— 一方で、なんやかんや言って⑪「Kaiso Ronde」みたいなカリブのリズムに乗ったときのワダさんのギターはお手のもの、自由闊達といった感じでこれまた心地良い。

ワダマンボ — 古いカリプソのインスト曲って、優雅でいてイナタいのあるじゃないすか。一見、真逆の要素が同居していて。そういう感じをやりたくて。なんか、ブラジルのショーロとか、フレンチ・カリビアンの古いのとかも同じ手触りなんすよね、自分にとっては。あんまりアドリブ・ソロがドーンって感じじゃなくて、テーマを違う楽器が奏でて2~3回しで終わりっていう。アンサンブルも各自節回しがちょっと違うけど、まぁいいか、みたいな(笑)。結局、ああいう塩梅が好きなんだなぁ、と。あんまりリズムの仕組みとかをなぞってても自分の好きなカリプソにならないんすよね。そのツボはなんぞや、というのを探りたかったんすよね。

— そこがいちばんの「らしさ」かもしれないなぁ。「ブルース! ブルース!」って言ってるのに、いわゆるブルースはほとんど演らない。でも「Bakelite Special」みたいな洗練された曲の裏に思いっきりドス黒いものが隠れてる。かと思うと「Clockwork」のような素朴でイナタい演奏の中にも優雅さがある。
でも不思議なのが、ブルース青年で、しかもレコ屋で働いていたワダさんが当時いたのは、音がどれだけ”黒い”かってことに価値を見出すようなコミュニティでしょ。どうしてショーロやフレンチ・カリビアンみたいな、ヨーロッパを名残を留めている音を良いと思えたのか。さっきのカリプソ楽団がやってるインチキ臭いダンス・バンドの話もそうなんですけど、ブルースやカリプソの真っ只中に身を置いていながら、価値が相反するような音を良いと思えたのか。

ワダマンボ — まだ小さいサイズで薄っぺらかったころの『ブラック・ミュージック・レヴュー』という雑誌がすごい好きだったんですよ。ブルースもソウルもR&Bも、ランキンさんの連載もあってレゲエの記事もある。カリプソもヘイシャンも載っていて、ワールド・ミュージックも全部“ブラック・ミュージック”って括りで取り上げていた時代。僕らのちょっと上の世代の人たちは、世界中でいろんな新しい音楽が続々出てきて、それらが互いにちょっとずつ影響し合って進化していくのをリアルタイムで眺めていて、あれを肌で知ってるのにはちょっと敵わないな、と思うんすよ。レゲエが生まれる前から音楽聴いてたひとにとってのレゲエが登場したときの衝撃とか。
乱暴に言ってしまえば、カリプソもショーロもフレンチ・カリビアンも言語とリズムの訛り方が違うだけで。ニューオーリンズの音にグッとくるひとならわかるハズだと思っているんすよね。「国境なんてない!」とか言うけどお前、ジャマイカの音楽しか認めないじゃないかみたいなヤツいるでしょ(笑)。そうじゃないだろ、と。
『ブラック・ミュージック・レヴュー』から分家した『ブルース&ソウル・レコーズ』という雑誌で長く連載させてもらってるんですけど、それで伝えたいのはあの感じなんすよ。例えば、リズム&ブルース好きならロックステディも聴けばいいじゃんっていう、逆もまたしかりで。

— シドニー・W・ミンツってひとが、『アフリカン・アメリカン文化の誕生』という本の中で、変化が文化を薄めるだけで豊かにはしないっていうのは間違っている。自らの文化を柔軟に変容させていくことができてこそ豊かな強い文化なんだって言ってるんですね。新世界に連れてこられたアフリカ人は、そういうたぐいまれな能力に恵まれていたからこそ、生き延びることができたんだって。「アフリカ的なもの」っていうのは、アフリカ由来のものだけじゃなくて、まさにそういう柔軟性、他の文化と混じるのを恐れなかったことなんじゃないかって思うんです。

ワダマンボ — あぁ、いい話ですね。もうね、国家っていうのはメチャクチャじゃないですか。昔も今も。勝手に「お前らここに住め」とか「出てけ」とかやっちゃう。そういう歴史的なもろもろのメチャクチャが、そこかしこで度々あって、それが皮肉にも新しい文化を生んでっていうのがね。交わって根を張って、ほんとうにしたたかですよね。

— 交わって根を張って新しいものをつくる、そのしたたかさこそ学びたいですよね。
いよいよラストの「Clockwork」なんですけど、これがいちばん古い録音で、10年前ですよ。

ワダマンボ — これは、リズムボックス以前の時代の(笑)。メトロノームをバックにしてるんですよ。メトロノームの振り子を片側だけ横に置いたコップに当たるようにして、そうするとビートがイビツになるでしょ。ちょっと訛るの。それが良い気がして。ライブでやったことあるんすよ、昔。でも、振り子に当たるたびにコップが動いていってしまってビートの訛り方がドンドン変わってしまって失敗でしたね(笑)。でも、こういうこじんまりしたメロディは好きでよくつくります。すぐ終わっちゃうの(笑)。

— うわぁ、最後にまたトンデモない話が。これはたまらん。めっちゃ大事すよね、訛は、ビートの。それがないとグルーヴは生まれない。でもそれをメトロノームとコップで…(笑)。
やってますねぇ、いろいろと。このアルバムは短い曲ばかりなんですけど、情報量が多いというか、満足感あるし、どうりで飽きないわけですよ。

Homemade Monaural delux 2

【行商が生業】

— 「あれっ?」と思ったことがあるんですけど、送ってもらったり、Soundcloudにアップされた曲の中で今回のアルバムから漏れた曲がありますよね。「Mario」とか「J’ouvert Barrio」とか。「J’ouvert Barrio」はソロじゃないから?

ワダマンボ — いや、全部入れると長くなっちゃうなぁ、と思って。ほかにもずっと録り続けてはいるので、またしばらくしたら続編を出したいと思ってるんですよね。もう15年もかけてる場合じゃない(笑)。

— そうですよ。勘弁してください、デモやリハの音源を送ってきてひとをその気にさせておいて、それきりにしてしまうのは(笑)。せめてこうやってCDにまとめてちょくちょく出してください。まだまだいっぱいあるんですよ、カッコいいのもヘンテコな音源も。

ワダマンボ — また音源送りつけます(笑)。いや、ほんとにね。ヒデさんや、HIGHLIFE HEAVENのショウちゃん、それからEXOTICO DE LAGOの長久保くん、この三人には録るたびに「こんなんできましたけど」って感じで聴いてもらっていて。自分の耳に迷いがあるときは背中をそっと押してくれるというか(笑)。感謝してるんすよ。

— ちょっとイカレたひとばかりだけど大丈夫すか(笑)。

ワダマンボ — いやいや、心の拠りどころなのですよ。東京と神奈川で三人いるということは、地球規模で考えれば少なく見積もっても200人くらいにはなる計算をしていてですね(笑)。

— 光栄です(笑)。
ちょっと話は戻るんですけど、さっきの「この15年でなにが変わったか?」という話で、まさかここまでCDが廃れるとは、僕には思いもよらなかったんです。配信がメインになるのはまあ当然かもしれないけど、CDがこれだけ廃れて、またアナログ・レコードが復活するなんて考えもしなかった。『homemade』シリーズって、CDならではの作品だなぁと思うんです。サイズ感も佇まいも、CDでちょうどいい。

ワダマンボ — 予算的なことも含めて考えると、いま一番チャレンジとか実験できるのがCDなのかもと思って。そして、CDでそういうことができる最後の時代かもな、とも。やっぱりアナログで出すとなるとお金かかっちゃうから、そうは気軽に冒険できないじゃないすか。デモテープと作品の中間くらいのつもりでリリースしても良いじゃん、って。出す側がそんくらいの気合いだからちょうど良い湯加減になったりしてるのかもですね。

— そうなんですよ。コストを回収するためにある程度売らなくては、となると、どうしても音にそれなりに正装させなくちゃというか、普段着の音のままではいられないんですよね。「Harmony」のような思い切ったことは難しくなっちゃう。あと最近、いまある音をただただ「残す」ってことも大事だなと思いはじめたんですけど、それをやるにも無理がないのはCDだよなって。関わってるひとたちが、そんなにリスクなく、みんな同等にある程度幸せになれるのはCDですよね。

ワダマンボ — 出したくなって、諸々出せる状況だったらアナログ出しても良いし。バンド編成で録り直しても良いだろうし。演奏も、録音の仕方も、メディアも、なにもかんも常に過渡期というか。そういう風に考えたら一気に気楽になったんですよね。「時代は再びCDです」とか、言うひとが言ったらまたCDの時代になるかも知れないし。ピーター・バラカンさんとか言わないかな(笑)。

— 配信だと軽過ぎるし。やっぱり質感とか手触りがないと寂しいと思っちゃうのは、紙の穴ポチポチ通信をかっこいい、子供心にあの穴の空いた紙を撫でてみたいと思ったおっさんだからでしょうか(笑)。『homemade monaural delux 2』は、コーティングを施した、すべすべテカテカの紙ジャケの仕上がりも良い塩梅です。

ワダマンボ — 長見順さんはジャケットの絵を見てすぐに「お、ロバート・ジョンスン!」って言ってました(笑)。

— ホントだ。並べて見ると思ってた以上にぴったりだ。さすがだな、順さん。
さて、最後に。これがワダさんのお店、ピカントの制作部門alphabet werkstattからのリリース第一弾になります。alphabet werkstattの今後の予定などがあったら教えてください。

ワダマンボ — うちの奥さんによると、どうやらalphabet werkstattの開発事業は音源だけじゃないらしいんですよ。で、ですね。いま一生懸命つくっているのはリズムボックスのミニチュアアクセサリー(笑)。1cm x1.5cmくらいのリズムボックスのミニチュアを老眼と闘いながらやってますね。試作品が出来上がって嬉しくなって、森俊也さんならわかってくれるかと思って写メしたら「わかるひとにしかわからないね」って短いメッセージが戻ってきました(笑)。チエコ・ビューティさんは「可愛い!」って。わかるひとだった(笑)。お店に来たお客さんには「これ、金庫ですか?」って言われて心が折れそうになってますが、なんとかやり遂げようと。
アクセサリーはともかく(笑)。音源は、もう少し曲が溜まったら『homemade』の続編をやろうかな。あと、バンド編成のもやりたいですね。とか、夢はいろいろ。あと、alphabet werkstattではないかもですが、カセットコンロスやチエコ・ビューティ&にゃ~まんずも録音したいんすよね。

— うちのもお願いしますよ! 「Vivita」と筑波のやつ。これだけは今年中にお願いします。いやマジで(笑)。

ワダマンボ — いろいろ考えてますよぅ(笑)。CDは出すけどリリース関連のライブのことをまったく考えてなかったことに気づいたんですよ。行商が生業だったことを、コロナ禍でうっかり忘れてしまっていた(笑)。なので最近、トリオ編成でリハーサルをはじめてですね。まだライブは決めてないんですが。ちょっとね、活動的なんですよ。気持ちが。なんで15年間こういう気持ちにならなかったのだろうと。
いや、最近ね、「インスタ見てます!ネコちゃん可愛いですね~」とか言ってもらえて、それはそれで嬉しいんですけど、お前とは音楽の話がしたかったぞ、ってときもあって(笑)。ちょっと、このままじっとしてるとただのネコおじさんだと思われそうで心配になってきたので音楽もがんばりますよ。

Mar. 2022