Article
<インタビュー>
ギロ・クロス (Guillo Cros)
NKUMBA SYSTEM

 仏プラード・レコーズからファースト・アルバム『¡BAILALO DURO!』、オクラ印から7インチ『Amanecer Despiértame/El rey y el peón』を立て続けにリリースし、アフロとラテンのこれまでにないハイブリッド・サウンドで世界のトロピカル・ミュージック・ファンからじわりと注目を集めはじめているンクンバ・システム。その中心メンバーであり、ギタリスト/コンポーザー/プロデューサーであるギロ・クロス(元ロンペラージョ)のインタビューをお届けします。
 サーカスのギター弾きとしてキャリアをスタートさせた男は、生まれ故郷のフランスから遠く離れた異国の地、南米コロンビアの首都ボゴタで、いかにして現地のミュージシャンやプロデューサーたちの信頼を勝ちとり、自身のバンドを結成し、アルバムをリリースするに至ったのか。そのルーツと今後に迫ります。

Interview by 森本英人

— 生まれ育ったのは、ンクンバ・システムの現在の活動拠点でもあるマルセイユですか?

■ ギロ・クロス : 生まれたのは南フランスのモンペリエで、育ったのはアヴィニオン。その後マルセイユに引っ越して、(コロンビアから戻って)ここ数年また住んでいる。

— ギターを弾くようになったきっかけはなんでしょう? 最初に好きになったアーティストは覚えてますか?

■ ギロ・クロス : ギターを始めたのは15歳のとき。友達とロック・バンドを組んで演奏するためだね。いまだに音楽から離れられないのは僕だけだけど(笑)。
最初に好きになったのはシドニー・ベシェだった。12歳のとき、家にあったシドニー・ベシェのレコードを聴いて音楽の虜になったんだ。ニューオリンズのとても素晴らしいクラリネット奏者で、両親が持ってたレコードの中で唯一僕の好みに合うレコードだった。

— 以前プロフィールを伺ったとき、「サーカスや劇場の作曲家、編曲家として仕事をしていた」と話していたのが印象に残っています。フランスではサーカスは身近な娯楽なんですか?

■ ギロ・クロス : サーカスはとてもポピュラーだよ、フランスでは。サーカスの作曲家として働きはじめたのが2003年。その後コンテンポラリー・ダンスや演劇の作曲もするようになった。あの当時はいろんな音楽を演奏していた。ジャズから地中海音楽、中東の音楽、アフリカの音楽まで。僕は特定のスタイルのスペシャリストではなかったんだ。そのうちにいろんなスタイルをミックスするようになって、舞台監督が気に入るような架空のフォルクローレをつくったりしてたね。
パフォーミング・アートのための作曲はちょっと特殊なんだよね。シネマティックというか。そこで使われる音楽には別の側面、別の目的がある。

— アフリカやラテン、トロピカル・ミュージックに興味を持つようになったのは?

■ ギロ・クロス : アフリカの音楽に興味を持つようになったのは20歳くらいかな。最初はマロヤ(レユニオン島の音楽)にハマって、次がマンディング音楽。それから世界のいろんな音楽を調べては聴くようになった。ラテンやカリビアンも同じ頃だね。サルサやレゲエから入って、同じようにいろんなスタイルを聴くようになった。

— コンフィアンス・ジャズを率いてカメルーンの伝統音楽をモダナイズしたシンガー、ママ・オハンジャのバンドでギターを弾いていたとも言ってましたよね。どういう経緯でママ・オハンジャのバンドに参加することになったんでしょうか?
僕はママ・オハンジャがコンフィアンス・ジャズと共に録音した7インチを2枚だけ持ってるんですが、彼はフランスでも人気があったんですか?

■ ギロ・クロス : ママ・オハンジャに初めて会ったのは2002年、マルセイユでだった。残念ながらママ・オハンジャがフランスで人気だったことはないね。80年代にカメルーンで大人気だったようには。
ママは90年代の初めにフランスにやってきて、最初はパリで活動してた。ヴァンサン・セガールやシリル・アテフ、マジック・マリク(マリク・メザドリ)のようなフランスの有名なミュージシャンとも共演してるよ。
その後マルセイユにやってきて、僕たちは知り合いになった。ママの家に行って、彼のやってる音楽の手ほどきを受けるようになって、そのうちバンドでギターを任されるようになったんだ。

— カメルーンで演奏したことがあるともおっしゃってましたよね。ママ・オハンジャのバンドのギタリストとしてツアーに行ったんですか?

■ ギロ・クロス : ママ・オハンジャと知り合ったとき、僕はあるプロジェクトでキューバに音楽留学することがすでに決まってたんだ。あるときママに「実は来年キューバに数ヶ月間留学することになってるんだけど」って伝えると、しばらくしてからママが「君がキューバに行くと言っていた頃に、わたしはカメルーンに戻ることになった。一緒にカメルーンに来なさい」と言うんだ。
それでママと一緒にカメルーンに行って、4ヶ月間音楽の勉強することにした。カメルーンで師事したミュージシャンの中には、君が持ってるレコードに参加してる人もいるよ。パパ・ヴィユー(オズア・プロスペー。コンフィアンス・ジャズのギタリスト)とか。

— 難しい決断だったと思いますが、キューバではなくカメルーンを選んだ理由は?

■ ギロ・クロス : まったく難しい決断じゃなかったよ。もともとキューバに知り合いはいなかったし、カメルーンならママと一緒だし。実際カメルーンでは「家族のように」受け入れてもらったんだ。

— カメルーンで印象に残っているエピソードがあれば聞かせてください。

■ ギロ・クロス : あり過ぎるよ! 素晴らしい人々、素晴らしい国、信じられないような音楽! リズムも言葉もほんとうに多種多様で…

(ギロ・クロスとママ・オハンジャ。2003年、ヤウンデにて)

— 音楽的に関することで言うと…

■ ギロ・クロス : それまでとはまったく違う方法でギターをプレイすることを学んだね。
カメルーンにいる間は一日中ギターの練習をして、毎晩踊りに行くという生活だった。
ある日、ヤウンデの友人が「今夜はトラディショナルな音楽で踊りに行こう」って言うんだ。びっくりしたよ。「え? ここに来てから毎晩踊りに行ってたのはトラディショナルな音楽じゃないの?」って思わず訊いた。すると、「違うね。きみが知ってるのはモダンなやつ。エレクトリック楽器で演奏するやつだろ」って言うんだ。
キャバレーに連れて行かれると、バラフォンのオーケストラがいた。バラフォンが三人、トゥンバが一人、マラカスが一人、あとは歌だけ。彼らがバラフォンで演奏したのは、僕が毎日一日中ギターで練習していたのと同じフレーズ、同じセンテンスだった…
そこでやっとわかったんだ。彼らのギターの弾き方はバラフォンから来ている。あるいはセンザやンビラ、ンヴェット…すべてトラディショナルな楽器から来てるんだ。
これは、例えばラテン音楽のギターの弾き方が、技術的にスペインの影響を受けているのとはまったく違う話だ。
アフリカの人々はギターを弾く独自のテクニックを「発明」したんだ。
彼らは言うんだ、「ギターは、植民地主義との戦いの中でアフリカが手に入れた財宝のひとつだ」と。

— なるほど。あなたのプレイ・スタイルのユニークさの背景がちょっとだけわかってきた気がします。
そういえば「La Guitarra Marimba」という曲で、マリンバのように聴こえるフレーズは全部ギターですよね。

■ ギロ・クロス : 2014年にコロンビアに移り住んだとき、カメルーンで学んだことがとても役に立った。
ルーカス・シルバ(パレンケ・レコーズのプロデューサー)やペドロ(・オヘダ)と一緒に、何曲かマンボ・ネグロ・レコーズのレコーディングに参加したことがあった。そのあとでルーカスが「きみは”ビクツィ”がプレイできるよね?」と言ってきた。ビクツィというのはママ・オハンジャのバンドでもよく演奏していたカメルーンの伝統的なリズムだ。「あのリズムを使ってコロンビアのシンガーをレコーディングしてみたい」と。それでコロンビアの太平洋沿岸部のバンド、グルポ・バイアのシンガー、ビクトル・ウーゴ・ロドリゲスと一緒に「La Guitarra Marimba」をつくった。ンクンバ・システムの演奏でビクトル・ウーゴとマカンビレの歌をフィーチャーして、マンボ・ネグロ・スタジオで録音したんだよ。

— 「El Rey Y El Peon」もリズムはビクツィですよね。後半チャンペータ的な展開になります。この曲を披露したときのボゴタのオーディエンスの反応はどうでした?

■ ギロ・クロス : 王になる人もいれば、なんの変哲もない人生を送る人もいる、でも最後はみな等しく木の箱の中で人生を終えるんだよという曲。コロンビアの人たちはこの曲が大好きなんだ。「El Rey Y El Peon」は「Guitarra Marimba」より前に書いた曲だね。

— なるほど。この曲を聴いてルーカス・シルバはあなたに録音してほしいと声をかけたわけですか。
話を戻すと、コロンビアに移住したのはなぜだったんですか? どうしてその後5年も滞在することになったんでしょう?

■ ギロ・クロス : もちろん愛ゆえに、だよ!
実はワイフはコロンビア生まれなんだ。子供たちはフランス人でありコロンビア人だ。だからコロンビアに行って暮らす必要があった。それに当時は正直フランスやヨーロッパにうんざりしてたんだ。新しいことに挑戦したかった。そして「踊る」という文化のある国で暮らしてみたかった。

— 僕があなたの名前を意識したのはロンペラージョのペドロ・オヘダがプロデュースしたロス・プロピオス・バテロスの7インチ『Batazo Batero』(Names You Can Trust)です。その後ロンペラージョのライヴをYoutubeで観てあなたのユニークなギター・プレイに魅了されました。
どういった経緯でロンペラージョに参加するようになったのかを教えてください。

■ ギロ・クロス : ロンペラージョ・エス・ウナ・チンバ! ロンペラージョは最高だよ。
ロンペラージョでプレイするのはほんとうに楽しかった。コロンビアに移住した当初は、現地の人たちとはなかなか演奏してもらえなくて…トロピカル・ミュージックを演奏したがってるフランス出身の白人なんてね。
ある日、とあるクラブに出演予定だったロンペラージョに自分を売り込みに行ったんだ。ペドロ(・オヘダ)はとてもオープンマインドでね。「OK、リハに来なよ。どうなるか、やってみよう」と言ってくれて。結局その日のライヴに最初から最後まで即興で参加したんだ。そしたら翌週のギグにも呼ばれて、そして完全にバンドの一員になった。
ロンペラージョは、コロンビアのリズムの上に成り立ったとてもクレイジーで自由な音楽だ。ペドロやファン・マニュエル、ジョン・ソチャ、それに専属サウンド・エンジニアのパペートとは最後まで良い友人だった。音楽的にも、人間的にもとても素晴らしい体験だったよ。

— ロンペラージョで印象に残ってるエピソードはありますか?

■ ギロ・クロス : いちばん強烈だったのは、レコーディングをするとき、毎回スタジオに入るまでなにも決めていなかったことだね!

(2017年ブラジル・ツアー時のロンペラージョ)

— ンクンバ・システムはどうやって始まったんでしょう?

■ ギロ・クロス : 最初は大所帯で始めたんだ。ドラム、パーカッション、ベース、ギター、トロンボーン、トランペット、そしてふたりの女性シンガー。何度かリハーサルをやってボゴタでコンサートを一度やったんだけど、コロンビアでそれだけの大所帯を仕切るのはなかなかしんどくて。2018年に、シンガーでパーカッショニストのレオネル・メルチャンに出会って、ふたりで僕の曲をアレンジし直してみたんだ。で、ロンペラージョのベーシストのジョン・ソチャを呼んで、最後にドラムスのキケ・ナヴァエスが加わった。

— 2018年にデジタルでリリースされた「El Disco Esta Rayado」が最初の録音ですか?

■ ギロ・クロス : あれがンクンバ・システムの始まりだった。タンボーラ・レコーズのセバスチャン・バストスに出会って、彼のスタジオで2曲録音する契約をした。それで「El Disco Esta Rayado」と「Lagartos And Micos」をタンボーラがデジタル・リリースしたんだ。

— 昨年(2020年)リリースになったファースト・アルバム『¡BAILALO DURO!』ではカメルーン出身のギタリスト、ダニエル・シンバ・エヴォウサが加入しました。キーボードや管楽器ではなく、どうしてギタリストをもうひとり加えようと考えたのか、教えてください。

■ ギロ・クロス : シンバは昔からの知り合いで、ママ・オハンジャのバンドにいたときに出会った。シンバがリード・ギターで僕がリズム・ギターだった。一緒にいろんな音楽を学んできた、とても良い友人なんだ。
フランスとコロンビアを行ったり来たりしながらンクンバ・システムのアルバムをつくろうと考えてて、2019年にフランスに戻ったとき、すぐにシンバに電話した。コロンビアにいたときからもうひとりギターが欲しかったんだ。ママ・オハンジャのバンドでやっていたようなギターのコンビネーションをやりたかった。なおかつラテンとアフリカ音楽のフュージョンのね。最初からそれがンクンバの狙いだった。それこそシンバに電話を入れた理由さ。
ザイールのルンバのようにラテンの影響を受けたアフリカの音楽、そしてアフリカの影響を受けたカリブやラテンの音楽、その両方に僕はずっと魅了されてきた。
ンクンバ・システムはいままさにそのふたつを取り込んで、ミックスして、人々に楽しみを与えようとしてるところだ。

— ロンペラージョのペドロ・オヘダの他、サリフ・ケイタのバック・シンガーだったママニ・ケイタもアルバムにゲスト参加しています。ママニはどういう経緯で参加することになったんでしょう?

■ ギロ・クロス : 本来なら、僕とシンバ、ジョン、そしてママニは(2020年の)10月にコロンビアにいて、ンクンバ・システムで一緒になにか創作をする予定だったんだ。『JazzTropicante』っていうフランスとコロンビアの文化交流フェスティバルの一環でね。でもCOVID-19の影響でキャンセルになってしまった。
その準備を進めてたのがちょうど『¡BAILALO DURO!』を制作している最中だったので、せっかくだからアルバムで1曲歌ってもらうことにしたんだ。

— 「Cacerolazo」のPVもおもしろいです。

■ ギロ・クロス : アルバムを準備していた2019年の11月に、コロンビアで大規模なデモがあった。初めてコロンビアの人々が鍋やフライパンを持って街に繰り出し、叩きながら通りを行進したんだ。このやり方はアルゼンチンやチリでは伝統的なやり方なんだけど、コロンビアでは目新しいものだった。それがきっかけで曲を書いたんだ。
ヴィデオをつくったルノー・アイモニはフランス人のアーティストで友人だよ。コロナでロックダウンの間、彼がいろいろ道具を貸してくれてね。彼に手伝ってもらってアルバムのアートワークも自分でやったよ。僕は手を使うのが好きなんだ。ハンドクラフトのものはよりリアルな気がしてね。

— アルバムの録音は、楽器のオーバーダブも最小限ですし、意図的にシンプルなサウンドにしているように感じました。

■ ギロ・クロス : オーセンティックなものしたかった。ステージで演奏しているそのままのサウンドにしたかったんだ。

— そしてマルセイユで新しいンクンバ・システムが始動しましたね。ダニエル・シンバ・エヴォウサと盟友であるベーシスト、ジョン・ソチャはそのままで、新たなシンガーとドラマーが加わりました。

■ ギロ・クロス : 『JazzTorpicante』が中止になるとわかったとき、「フランスでバンドをやらなきゃ」と思ってドラマーとシンガーを捜しはじめた。そしてすぐにヨアンディを見つけた。グレートなキューバ人のドラマーだよ。コロンビア音楽について詳しくはないけど、彼には素晴らしいキューバのフレーバーがある。
実を言うと最初はコロンビア人のシンガーを捜してたんだ。でもシンディに会ったとき、なにかとても感じるものがあった。彼女は4歳から18歳までカメルーンで育ったんだけど、ザ・ボンゴ・ホップでコロンビアの曲を歌った経験もあった。
ドラムとベースがキューバとコロンビア。ギターとシンガーはカメルーン。これこそ僕が求めていたパーフェクトな組み合わせだって思ったよ。

— Youtubeにアップした「La Confianza」のリハーサル・ヴァージョンには驚きました。シンディ・プーチのヴォーカルはあなたのコンポジションの素晴らしさをより際立たせるように思います。正直アルバムで聴いたときは、この曲がこれほど素敵なメロディを持っているとは気がつきませんでした。

■ ギロ・クロス : シンディ・プーチのおかげだね。人間的にも素晴らしい人だ。

— ところでマルセイユはいまどんな感じですか?

■ ギロ・クロス : ロックダウンでクラブやライヴハウスはどこも閉まっている。レストランやバーも。ツラいね。ダンスをしたり、笑ったり、キスをしたりということが人間には必要だよ。こんな状況は早く終わってほしい。
80年代以降フランス政府は文化事業や関係者に手厚い補助を行っている。だからひょっとしたら現時点でここはミュージシャンにとってはいちばん良い場所なのかもしれない。だとしてもこの状況は長過ぎるよ…

— 最後に、今後なにか計画していることがあったら教えてください。

■ ギロ・クロス : とにかくンクンバ・システムでライヴをやりたい。演奏したくてたまらないよ。新しいシンガー、シンディ・プーチともっと曲を書きたいし、レコードもつくりたい。
ンクンバ・システムの他には、友人のクレイジーなピアニスト、ニコラス・カンテとなにかやってみたいと思ってる。
他にもアイディアはいろいろあるよ!

Mar. 2021